セレンゲ県 (県の紹介シリーズ 5)

モンゴルについて
41@montsame.mn
2017-12-21 14:15:00
 セレンゲ県は、モンゴル東北部のオルホン河とセレンゲ河の流域にある。面積が約4万1200平方㌔。人口は約10万人。行政地区は17郡、6村。 県庁所在地は、モンゴル人民革命英 雄スフバートルにちなんだスフバー トルで、その人口は2万人ほど。セレンゲ県はモンゴル人民革命における武装蜂起の始まりの地、モンゴルのスイスとも言われるフブスグル県の大自然にも負けない素晴らしい自然があるが、そのうちの7つを「七大名所」として紹介する。

アマルバヤスガラント寺院
 
 まず、セレンゲ県バローン・ブレン郡にあるブレンハーン山麓に 建てられたアマルバヤスガラント寺院である。ジェブツンダンパ・ ホトクト1世(ザナバザル)の後世及び布教のため建てられた。清 の雍正帝は1725年に同寺院の建造を指示し、その翌年に工事に着手し、1737年に完工した。かつてモンゴル最大級寺院の一つであったが、社会主義時代は一旦破壊された。国はその後、1943年に国家保護下に置き、1988年から修復作業が進められている。




ソロンゾン・ハド(磁気岩)
 
同県フデル郡にある巨石である。長年の風雨によって浸食され、見た目は普通の岩であるが、昔から地元の人々からは、信仰の対象 になっており、病気を治す力が宿っていると言われている。関節病や神経疾患、 腎臓病、脳卒中の人が治されている。不思議なのは、 この岩に鉄などの金属製品 がくっつくほか、時計の針が止まってしまうという。


モンゴル人民革命発祥の地 「アルタンボラグ」
 
 アルタンポラグはモンゴル人民革命における歴史的な名 所である。県庁所在地スフバートル市から北東へ25㌔。ロシア側のキャフタと国境を接する。対ロ陸上交易の 場。ここは人民革命の武装蜂起があって、モンゴル人民義勇軍によって1921年3月18日に解放された。同郡には、人民革命の博物館、モンゴル初の小学校、初の裁判所、銀行、人民義勇軍の司令ビルなどの歴史的な建造物が今も保全されている。


 
エージ・モド(母なる木)
同県シャーマル郡にある人の形をした木である。地元の人々のみなら ず、モンゴル人から「母なる木」として、願い事がかなう、と信じられている。 ウランバートルから約310㌔離れているこの木は、いつから「母なる 木」とまつられているのは不明であるが、これに関係する様々な言い伝えがある。かつて、人民革命を導い た7人がこの木に、革命の成功を祈った後、ロシアへ行って、赤軍支援をもらえたとか、いろいろな憶測がなされている。 毎年4月に一度、エージ・モドを祭 って、願い事を3つ、祈るという。


サイハニー・フトゥル
 
同県北端のモンゴル・ロシア国境線にある自然名所。県庁所在地スフバートル市から西5㌔離れており、オルホン河とセ レンゲ河の水路が重なる地点で、この二つがバイカル湖に注ぐ。ここは、人民革命時は赤軍とモンゴル人民義勇軍の合流 地点だったという。



沸き出る天然温泉

ユロー郡にあるヘンティー山脈のふもと、 ユロー川流域の標高1150㍍で沸き出る天然 温泉がある。硫酸泉で お湯は42度である。療養泉で、地元の人々か ら関節病や神経病に良いと言われている。



トジーン・ナルス(アカ マツ)

トジーン・ナルス(アカマツの 森)は、同県シャーマル及びアルタンボラグ郡にまたがるアカマツの森のことである。この森は、タイガの南端になると同時にヘンテ ィー山脈の始まりの地になってい る。面積は約6万5600㌶に及ぶ。モンゴル有数の自然絶景の名所であ る。民主化後は、森林火災及び人間による伐採行為でアカマツの面積が著しく減少したが、現座は、 約7500㌶に及ぶ人々の植林活動のおかげで、順調に森が再生されて いるという。