セレンゲ県:ホラン王妃は歴史に名を刻んだ偉大な女性
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(スフバートル市、2025年12月30日、国営モンツァメ通信社)セレンゲ県スフバートル市の「ゲレルト・ツォグツォルボル」公園にホラン王妃の像がそびえる。
「三部族の発祥地」とされるセレンゲ地域に、オドイド・メルギド、オワス・メルギド、ハード・メルギドという三部族が存在した。オワス・メルギドの長はダイル・ウスン、オドイド・メルギドの長はトグタ・ベヒ、ハード・メルギドの長はハータイ・ダルマラであった。チンギス・ハーンが1189〜1206年に上記の三部族を大モンゴル国に編入する際、オワス・メルギドの長のダイル・ウスンは戦う意志がなかったため、自らの娘のホランを差し出し、服属した。
そのため、ホラン王妃の出生地はセレンゲ県である。スフバートル市の芸術者のツェベーンラブダン氏が県当局と協力し、セレンゲ県創立80周年を記念してホラン王妃の像の原型を制作した。
ホラン王妃は、チンギス・ハーンの第二后であり、1204年にチンギス・ハーンに出会い、その美貌と知恵で寵愛され、第二后になった。
ホラン王妃にフルゲンという一人息子が誕生した。チンギス・ハーンはその子を第一后の息子たちと同様に扱い、4000戸の民を賜ったと伝えられる。フルゲンは1235年に、長男たちの遠征に参加し、バトに従ってロシアを遠征中、死亡した。
ホラン王妃はモンゴル史に名を残した偉大な女性であった。







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