1300年の歴史を持つ賢明なトニュクの石碑

カルチャー
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2021-05-03 10:01:23

 突厥帝国のハーン(王)3人の重臣だったトニュクの業績を称えるため建てられた石碑、祭壇などによる歴史的、文化的な場所がトゥブ県エルデネ郡のバヤンツォグト山から北西へ、ウランバートル市から南東へ66㌔にある。

 この歴史的な場所では2つの石碑の他、祭壇の装飾による石台、頭の部分が壊れた石人、小石、礎石、陶器、レンガ、水道管がある。2つの石碑は長年にわたり、太陽と風に浸食され、破損されている。一部の側面では黒点も残されている。石碑の碑文では「王様がいるどこの国家でも暗愚な役人がいれば、大きな苦痛をもたらす。賢明なトニュク、私人身がこれを突厥帝国の国民に遺言する」と書かれてあるのはこの石碑がトニュク自身によって建てられた証となる。さらに、碑文でトニュク重臣は当時の社会事情を自分の伝記と結びつけて、書いたことが研究で明らかになった。


 2つの石碑自体には、4つの側面がある。8つの側面に62行の碑文が刻まれている。第1石碑の高さは217㎝で、碑文の1行~37行が書かれている。一方、第2石碑は243㎝で、碑文の38行~62行がある。研究者らは1897年からトニュク石碑を研究している。研究者によると、この石碑はトニュク自身によって720年~734年に建てられた。

 突厥帝国は552~745年間、中央アジアを統治していた。トニュク石碑はモンゴルにおける国立保護地の一つであり、教育スポーツ科学省はトルコ国国際協力庁(TIKA)との共同で実施したモンゴルにあるこの突厥帝国時代の記念碑を復元する、保護する事業の一環として1300年の歴史を持つこの場所をフェンスで保護した。

 賢明なトニュクは646年~732年に住んでいた突厥帝国で最も強力な「アシナ」氏族の貴族で、突厥帝国のカパガン、クトログ、イルテリシュ・ ハーンの重臣だった。クトログハーンが亡くなった後、息子のビルゲ ハーンに仕えて重用され、86歳で亡くなった。