インタビュー

(ウランバートル市、2025年7月5日、国営モンツァメ通信社)オフナー・フレルスフ大統領の招請により、日本の徳仁天皇と雅子皇后両陛下がモンゴルを国賓として訪問する。これに関連し、モンゴル国立大学科学学部アジア学科教授であり、「JUGAMO」協会会長でもあるS.バトトルガ氏に、日本国と日本人について話を伺った。
ーー日本はアジア諸国の中で、ノーベル賞受賞者の数でトップに立ちます。なぜ日本人は他の国の人々と違うのでしょうか。
今日は日本について話せることを大変嬉しく思う。私は日本研究者として30年間ぐらい働いた。もちろん、日本と日本人について全てを知っているわけではないが、研究を重ねるたびに興味深く、ますます惹きつけられることに驚かされる。まず最初に、日本の地理的な位置を強調したい。日本は海に囲まれ、豊かな天然資源に恵まれていない島国でありながら、約1億2000万人が暮らしている。これだけ多くの人が島国で調和を保ちつつ、高度な発展を遂げたことが大変興味深く、注目すべき点である。また、日本人は歴史の中で数多くの試練に立ち向かい、それを克服してきた。例えば、第二次世界大戦に参戦し、国土で核爆弾の投下を受け、甚大な被害を被った。更に、現代の重大な課題に最初に立ち向かい、その解決に尽力している。そのため、この国の経験が極めて重要であると考える。加えて、欧州文明を学びながらも、自らの独自性を持つ現代国家を創り上げた歴史も非常に興味深いものである。
ーー世界を驚かせるような事例もあります。例えば、福岡市で道路が陥没し巨大な穴が発生した際、わずか48時間で完全に修復したことです。カタール及びロシアで開催されたサッカー・ワールド・カップを観戦した日本の応援団がスタジアムを清掃してから退場しました。では、日本を発展させる上で日本人のどのような資質が最も重要な役割を果たしたのでしょうか。
外部から見て、日本人は非常に規律を重んじ、倫理観が高く、互いに敬意を払う国民であると感嘆される。そのように見えるのも、日本が農耕文化があるため、人々が協力して田を耕し、米を育て、収穫するという共同体的な仕組みが伝統として存在しているからであると考えられる。日本の村落共同体で培われた協調精神や集団意識を尊重する価値観は、現在の日本社会でも高く評価され、重視されている。言い換えれば、他者への敬意、自己への敬意を重んじることは、日本文化において非常に重要な価値観とされている。要するに、公共の利益を第一に考え、自己の利益を後回しにするという独自の文化的特徴がある。
日本人は自分を強調したり、目立たせたりすることを控える。このような姿勢は、過度に控えめで、分かりづらく、窮屈であると見なされることもあるが、決して短所ではない。むしろ、集団で暮らす現代社会において極めて適応的であり、優れた長所であると評価できる。従って、現代日本の高度な発展の背景に国民のこのような気質や価値観が大きな強みとして作用したのではないかと考えられる。加えて、日本人が物事に対する忠誠心や誠実な姿勢は、非常に特徴的であり、高く評価される。日本人の特徴は、自らの役割や業務に対して全力を注ぎ、最善を尽くし、最後まで責任を持ってやり抜くことである。日本の政治家は、不適切な行為があった場合に謝罪し、責任を認めて職を辞することが多く見受けられる。日本人にとって名誉とは、自分一人のものではなく、所属する組織、家族の名誉も含む広い概念である。家族の名誉や家系の名誉を保持し、敬うことと密接に関連する。
ーーモンゴルと日本は「平和と繁栄のための特別な戦略的パートナーシップ」の関係にあります。この関係を発展させるために何が重要であると考えますか。また、日本人に接する際に注意すべき点は何ですか。
非常に重要な課題である。現在、モンゴルと日本の政治関係は過去最高の水準に達している。とはいえ、日本の価値観をより深く理解することが重要である。モンゴル側は、特定の分野や課題、方向性において優先順位をつけ、より積極的に探求・研究する必要がある。より具体的な分野において、実効性のある積極的な連携を図るべき。私は日本人の文化的・精神的特性について言及する際に、誠実さや原則を重んじる姿勢、そして同意したことに対して責任を持ち、名誉を守る文化を強調した。チンギスハーンによってモンゴル帝国が構築された時代のモンゴル民族は、高い倫理観を有し、社会が合理的に構成されていたと推察される。これは、『元朝秘史(モンゴル秘史)』にも明確に記されている。友情への忠誠、名誉を尊ぶ精神、民への真心からの慈しみという数々の価値観が我が祖先に根付いていた。歴史の中で喪失された価値観を日本の模範から学ぶことが可能であると考えている。近年、日本は世界情勢の変化に対応して、自国の歴史を振り返ることを議論している。第二次世界大戦前にどのような経験をしたのか。その後に構築した社会は正しかったのか、間違っていたのか。何を失ったのかについて話し合っている。
ーーモンゴルを訪れた日本人は、多くの素晴らしいことを書き残しています。「モンゴルの大地で私は人間の本質を再発見しました。ここで、人間と自然は切り離せない一つの存在です」と日本の有名な作家が記しています。日本人はモンゴルのどのような点により興味を持ちますか。
まるで「私たちは誰か」という問いをしているかのように聞こえる。モンゴル人は歴史の中で多様な姿を持ちながらも、「モンゴル人はこうあるべき」という様々なイメージを想像し、そのような人物を作り上げようとしてきたと思う。日本人は1900年~1920年にかけてモンゴルを訪れ、調査を行った。島に住む日本人はモンゴルで何を感じたのであろうか。多くの地域を調査した司馬遼太郎という人物は、モンゴルで多数のことを見出したに違いない。日本人はモンゴル帝国の歴史を非常に詳しく研究し、ボグド研究を高いレベルで発展させた。この国は、自らの強さを保ち、多数の重大な危機を乗り越えるために、強靭かつ賢明で、人間の本質を保持している国々の歴史を研究する。そのような国々の中にモンゴルも含まれる。日本の天皇陛下が即位後、初のモンゴル訪問をされることは、モ日関係を重視していることの表れである。
ーーモンゴル出身の力士たちは、モ日関係に多大な貢献をしたと言えるでしょう。モンゴル出身の力士が相撲界に足を踏み入れてから33年間で6人のモンゴル人横綱が誕生しました。日本人は同件についてどのような感想を持っているのでしょうか。
モンゴルは古代からブフという伝統格闘技を受け継いできた国であり、日本の相撲も独自の伝統を有している。たとえ同じく格闘技であっても、モンゴル相撲と日本の相撲は、それぞれ独自の形式、作法、文化的な特色を備えている。なぜ日本はモンゴル人力士を相撲に受け入れてきたのかと考えることがある。モンゴル人が力強いため、横綱が誕生することを予想していたのであろう。予想していたにもかかわらず、なぜ多数のモンゴル人力士を相撲界に受け入れたのか。それは外来の文化を柔軟に受け入れる能力の表れでもある。必要な物事や自己の再生・強化に資する条件を柔軟に受け入れつつも、独自の個性や伝統を守り続ける技術を培ってきた国である。米国の戦略家と地政学者は「日本人は外見上、教養ある文化人であり、いくつかの分野において戦略的な能力を発揮していることを証明した」と評価している。従って、モンゴル人力士を相撲土俵に迎え入れる際に、将来を見据えたと考えられる。外国出身の力士は相撲土俵で横綱に昇進する際に、日本の伝統を最高度に敬うことが強く求められる。「あなたは日本の一部となった。このことを常に自覚してください」と言われてきたと推察される。モンゴル出身の横綱はこの教えを忠実に守り続けている。
ーーモンゴル人力士が相撲土俵に上がったことで、どのような進歩や影響をもたらしたと日本人は考えているのでしょうか。何を語り、何を強調していますか。
日本人は自国の伝統や文化を大切にしており、その代表的な例の一つが、相撲という伝統文化である。一見すると単なる格闘技のように見えるが、力士の生活様式や上下関係の礼儀作法、相撲ならではの規律や伝統を受け継いできた文化である。モンゴル出身の横綱たちは自らを高いレベルで鍛え、数々の厳しい試練を乗り越えた末に地位を築き上げたのである。彼らが相撲界で収めた成功は、モ日関係の発展に大きく貢献し、非常に重要な役割を果たしてきた。加えて、モンゴルを世界に広く知らしめる上でも極めて重要な役割を果たした。相撲を敬愛する人々は、次第にモンゴル人力士にも深い敬意を抱くようになり、更にモンゴル相撲にも興味を持ち、観戦するようになった。従って、モンゴル人は新たな可能性を切り拓き、その過程で日本の方々から多大な支持を受けたと言っても過言ではない。相撲のような数多くの機会が次々と訪れることも十分に考えられる。モンゴル人の我々は信頼に応え、最善のレベルで二国関係を発展させるために努力すべき。
ーー「JUGAMO」協会は設立30周年を迎えています。日本帰国留学生の会は、モ日の友好と協力の懸け橋となることを目指しています。日本と日本人をモンゴル人に紹介する他、モンゴル人向けにどのような活動を行っていますか。
私は、日本帰国留学生によって構成される「JUGAMO」協会の会長を務めている。今年、設立30周年という節目の年を迎える。「JUGAMO」は日本留学中のモンゴル人、留学経験者、日本での生活経験を持つ全ての人々を繋ぐ、自由でオープンな交流団体である。過去30年間で、多くの実績を積み重ねてきた。とりわけ、モンゴルと日本の友好の懸け橋としての使命を立派に果たしてきた。日本で津波と震災が発生した際、私たちは一早く支援を呼びかけ、募金を通じて心からの連帯と共感を示した。更に、日本人をモンゴルへ呼びかけるための環境整備やビジネス分野での連携に関する情報交換を行い、来モした日本人を暖かく歓迎し、安全かつ快適に過ごせるよう対応する。その結果、日本大使館やJICA、モンゴル在住の日本人が同協会の理念を深く理解し、協力して事業を実施するようになった。日本に関連する人々の交流を促進し、紹介や情報提供を行うとともに、日本文化や日本人の本質を学び、自身の再発見に寄与する多様な活動を企画・運営している。この節目にあたり、過去30年間「JUGAMO」を代表し支えてきた全ての先輩方および若手の皆様に心よりお祝い申し上げる。




(ウランバートル市、2025年7月4日、国営モンツァメ通信社)井川原賢在モンゴル日本国特命全権大使にモンゴルと日本の協力関係について話を伺った。
ーーモンゴル人はかねてより日本に興味を持っていました。大使は両国関係がいつから始まったとお考えですか。両国関係の発展の歴史の中で、どの時期が特にターニングポイントだったと思いますか。
モンゴルの方々が日本に興味を持ち、親近感をいだいてくださっていることを嬉しく思います。私たち日本人もモンゴルに対し、同じように親近感をいだいています。さて、日本とモンゴルの関係の歴史は、研究者によると遙か悠久の昔からあったそうですが、その関係を大きく変えたのは、間違いなく1990年、モンゴル民主化の年だったと言えます。今年はモンゴルが民主主義体制に移行して35周年ですが、言い換えれば、日本とモンゴルが民主主義、人権、法の支配といった共通の価値観の下で、35年間共に歩んできたことを意味します。
ーー日本政府の開発援助(ODA)により、JICA等がモンゴルのインフラ、医療、教育などの分野でさまざまなプロジェクトを実施しました。これらの中で最も具体的な成果を上げたものはどれだと考えますか。
日本政府によるモンゴルに対するODAは1977年に締結された経済協力協定に基づき実施された無償資金協力「ゴビ・カシミヤ工場建設」に始まりますが、1989年度までは研修員の受入、専門家派遣、機材供与を中心とした技術協力および文化無償資金協力といった限られた分野に留まっていました。モンゴルが社会主義体制から市場経済体制に移行した1990年以降、一般無償資金協力による積極的支援が始まるとともに、円借款が初めて供与され、日本の対モンゴルODAはさまざまな分野で本格化します。モンゴルの民主化への移行期という最も苦しい時期に日本の支援は極めて大きな役割を果たすとともに、現在に至るまで一貫してモンゴルの国造りを担う人材育成を行ってきており、2024年度までの累計支援総額は3,700億円(25.6億米ドル相当)に達しています。
どの支援も時宜にかなったものであり、高い成果を上げていますが、特に私が取り上げて申し上げたいのは、円借款の下で建設されたチンギスハーン国際空港です。
2008年E/N署名、2013年着工、2020年完工、2021年開港と、長い年月をかけて実現した656.57億円の大型プロジェクトでした。モンゴルの国際旅客数は1999年の約14万人から2024年には約175万人に増加していますが、チンギスハーン国際空港の完成により、空港の信頼性、安全性が向上し、「GO MONGOLIA」キャンペーンの推進による観光開発が進みました。
チンギスハーン新国際空港の初便記念式典
また航空貨物輸送量が増え、空港周辺開発も含めた経済効果も高く、モンゴルの国際化を新たな段階に引き上げることができました。さらに、今年1月、日本政府は、2017年にモンゴルのIMF拡大信用供与措置(EFF)の導入以降、例外を除き新規供与が停止されてきた対モンゴル円借款の手続きを再開する決定を発表しました。
これにより今後の需要拡大に応じるチンギスハーン国際空港の拡張をはじめとしたモンゴルの発展に重要なインフラ開発にさらに寄与することができると考えています。
ーー大使にとって、モンゴル社会に忘れがたい影響を与えた「草の根」プロジェクトの最も特別な例を共有していただけますか。
実は、モンゴルに対する「草の根・人間の安全保障無償資金協力」も1990年から開始されており、今年で35周年になります。これまで35年間で613案件(2024年度末時点)、供与総額は約4,800万米ドル(2024年度末時点)になります。草の根案件のひとつひとつは比較的小規模で、社会的に大きなインパクトはないかもしれませんが、地域住民に直接裨益する点でその地域の方たちにとっては大きな影響力があります。不衛生なトイレや寒い教室を草の根によって改修し、安心して教育や医療を受けられる環境を整備することは、日本政府が掲げる対モンゴルの国別開発協力方針の「包摂的な社会の実現」に合致しており、改修後に訪れた幼稚園や学校、病院で、先生や子どもたち、患者の方たちの笑顔を見られることは何よりも嬉しいことです。
ーーモンゴルと日本の間で締結された経済連携協定(EPA)の恩恵を両国はどのように活用していますか?対モンゴル日本投資の拡大のための新たな可能性は、どの分野にあると考えますか?
EPAは両国の経済互恵関係強化のための重要な枠組みであると考えています。日本モンゴルEPAを締結したにもかかわらず、貿易インバランスが縮小していないといった声を、時折聞きます。EPAは貿易や関税を自由化することで、直ちに貿易インバランスを解消させることを目的とするものではなく、投資や知的財産権保護、電子商取引、また、投資環境といった、通商分野の幅広い協力関係を促進することも含まれています。
EPAの枠組みを通じて、貿易のみならず、このような分野も含めた、経済関係を拡大させることを議論し、互恵関係を促進していくことが両国にとって重要と考えます。
昨年11月には、ウランバートルにおいて、日本とモンゴルの貿易・投資の拡大や協力関係の強化等について協議する「日本・モンゴル官民合同協議会」が開催されました。両国の経済協力を協議するセッションでは、デジタル、ヘルスケア、スタートアップ、ビジネス環境整備、日モンゴルEPAの利活用推進など、今後の協力の可能性について、日本モンゴル双方から事例も交えて議論が交わされ、これらの分野での今後の協力強化を目指しています。 加えて、現在、経済・開発省やモンゴル商工会議所との間で、日本の地方の経済団体とモンゴルの経済団体の交流を強化していくことについても、意見交換を行っています。また、今年は4月から10月までの間、「大阪・関西万博」が開催されています。万博を通じて、多くの日本人にモンゴルのことを、もっと知ってもらい、親しみを持ってもらうことを通じて、経済交流がより、拡大し深まることを願っています。
ーー両国の関係には一般市民の相互理解が非常に重要です。これは両国の関係をより明示的かつ明るく豊かなものにします。大使個人として感謝している、思い出深い日本人とモンゴル人との関係の例をお話しいただけますか。
日本人とモンゴル人の感動的な「人」対「人」の交流の話をよく聞きます。ご存じの方も多いと思いますが、日本の有名な作家、故司馬遼太郎さんとウランバートルホテルで働いていた通訳者の故ツェベグマーさんとの交流は多くの日本人を感動させました。1973年に紀行文執筆のためにモンゴルを訪れた司馬さんは、日本語通訳者のツェベグマーさんと出会いますが、そのときは両国の体制の違いから彼女の人生について詳しい話を聞くことはできませんでした。1990年に再度モンゴルを訪れた司馬さんはツェベグマーさんを取材し、「草原の記」を執筆します。彼女の人生には多くの苦しみがありましたが、しなやかに強く生きたモンゴル人女性の生き様に私たちは深い感銘を受けました。現在も、ひとり娘のイミナさんとバータルツォグトさんご夫妻は私たち家族のよき友人であり、ツェベグマーさんの遺志を継ぎ、日本とモンゴルの交流のために尽力してくださっていることに感謝が尽きません。
またチンゲルテイ区のノゴーンノール公園ではウルジートグトフさんという一般市民の方が、ご自身が利用許可を得た土地が、日本人抑留者がウランバートルの都市建設のために石を切り出した場所であることを知り、その歴史を語り継ぐ資料館を開設しています。もともと日本と何の関係もなく、歴史の専門家でもない一般のモンゴルの方が、両国関係の知られざる歴史を調べ、多くの方に伝えていこうという熱意に頭が下がる思いです。この公園は今、夏はボート、冬はスケートを地元の方々が楽しむ以外に、外国からの旅行者が訪れ、日本人抑留者とウランバートル市の歴史を知ることができる場ともなっています。 このような一般市民の交流が日本とモンゴルの関係をこれまでも、今も、これからも固くつないでいくことは確実です。
ーー日本で教育を受けたモンゴルの若者たちは、両国の架け橋としてどのように活躍していると評価しますか。
1976年に初めてモンゴルからの国費留学生が日本に留学してからまもなく50年になります。その間、日本の政府奨学金でモンゴルから約2,000 人が留学していますし、さらに私費留学も合わせると日本留学経験のある方は増えています。日本留学を終えてモンゴルに帰国した留学生の会(JUGAMO)の会員だけでも2,000人を超えています。
国費留学生や私費留学生はその後も連綿と続いてきており、その一人一人の貢献がモンゴル社会に根ざし、両国関係の促進に多大な影響を及ぼしてきています。その流れは継承されながらも、新たにモンゴルの人材育成の観点から日本政府として二つのプログラムを実施していることを紹介したいと思います。
ひとつはM-JEED(工学系高等教育人材育成支援)です。
モンゴルでは「1,000人の技術者」プロジェクトとして知られている2014年に開始した円借款事業です。この事業に基づきこれまで約1,098 人が日本に赴き、1,058 人がすでに学業、研究を終えて帰国しています。これは「点」ではなく、モンゴル経済全体の牽引ひいては産業多角化の実現という広域な「面」を対象とする人材育成を念頭においたもので、現在、今後の協力のあり方に関し議論を重ねているところです。もう一つは、2001年に始まったJDSという若手行政官育成プログラムです。これはモンゴルの行政能力を向上させるために、学生ではなく、モンゴルの中央や地方の行政組織に携わっている人たちに留学機会を与えるものであり、若手行政官としての知見に基づき日本の諸分野での成功例や失敗例を見ながら、大学で学ぶものです。モンゴルからはこれまで約430 人が参加し、すでに384人が帰国されそれぞれの行政機関や中央銀行等で活躍しております。このように拡充した制度を確実に継続しながら、流れの幅を広げていくことで、多くのモンゴルの人材が世界を舞台にモンゴルの発展のために活躍できるようになることを願っています。
ーー大使はモンゴルに初めて来てから27年過ぎました。また1991年に日本総理大臣の初のモンゴル訪問の準備に関わっていたと聞いています。それ以降、モンゴルで起こったどのような変化が興味深いと感じられますか。
モンゴルは豊かな伝統文化を継承しながらも、国際的にダイナミックに発展している点が大変興味深いと感じています。外国で学ぶことや働くことに躊躇せず飛び込む行動力があり、複数の外国語を操り、持ち前の明るさと力強さで世界のどこででも活躍されています。しかし常に母国のことを忘れず、何年か後に外国で得た知識や経験を持ち帰り、母国の発展のために役立てる方が多いと思います。今、日本で学んだり働いたりした人たちが、モンゴルの発展に寄与している姿はとてもまぶしく、希望を感じさせます。
私が1991年に西側諸国首脳の初めてのモンゴル訪問となった海部総理の訪問準備に関わった際には、新しい両国関係の創出を模索していました。
モンゴルは民主化直後のさまざまな問題に直面していましたが、私たちは常にモンゴルに対する敬意を持ち、日本としてどうやって貢献できるのか一生懸命考えていたことを覚えています。今はそのときに比べると、積み重ねてきた信頼関係が確固たるものとなっており、あらゆる分野で日本とモンゴルが手を携えてきたこと、パートナーとして歩んできた歴史が底流にあることに安心感を覚えています。
ーー日本の天皇皇后両陛下が麗しい夏の季節に美しいモンゴルを訪問する予定です。これは両国関係をどのような新たなレベルに至らしめるとお考えですか。
天皇皇后両陛下の御訪問は、日本とモンゴルの二国間関係を記す歴史書に、金の文字で記されるべき意義深い出来事です。まず、ナーダムも開催される7月のすばらしい時期に御訪問いただけるということは、モンゴルの方たちにとって大変誇らしいことだと思います。モンゴルの方たちが最高のモンゴルを天皇皇后両陛下に見ていただきたいと敬愛を持って歓迎していただけることが、私にとっても大変嬉しいことです。
次に、天皇皇后両陛下がモンゴルの方々の熱意に応えてくださったということは、両陛下がモンゴルをいかに大切に思ってくださっているかの現れではないかと考えています。
実は両陛下は即位されて7年になりますが、国際親善のための外国御訪問されたのは2023年のインドネシア、2024年の英国に続き、モンゴルは3か国目の栄誉となります。今回の御訪問は、これまでさまざまな交流により培われてきた日本とモンゴル両国の関係の新しいページが開かれるきっかけになります。両陛下の御訪問を前に、私たちの世代が先達たちから受け継いだ日本とモンゴルの信頼関係に基づいた恩恵をそれ以上の深さ、広さにして次の若い世代に引き継いでいきたいという決意を新たにしています。
ーー両国関係の未来をどのように想像し、期待していますか。
日本とモンゴルは、平和と繁栄のための特別な戦略的パートナーです。両国が、アジアにとって、さらには世界の中で、最も平和的で、最も民主主義的で、最も豊かな文化的なものを発信できるパートナーとして共に存在し、その魅力を輝かせていく未来が私の願いです。
モンゴルは多くの国々と広く交流ができる利点があります。日本は私が思うに最も平和志向で独自の文化を持ちながら人類の平和のために貢献していこうという気持ちが強い国です。
そういった両国が今、良好な信頼関係を構築していますが、これを我々が次世代も、次々世代も、50年後も、100年後も更に充実した方向へと発展せしめて、モンゴルと日本それぞれがアジア地域で、また国際社会の中で、最も魅力的なものを発信し、国民もそれを享受している国として、またパートナーとして存在し続けていくこと、そして世界中がそれを認知して、日本とモンゴルの関係を賞賛する時がくることが私の夢です。

(ウランバートル市、2025年6月15日、国営モンツァメ通信社)「持続可能性に関する対話2025―気候変動:10億本の植林」国際会議の際、Z.バトジャルガル気候研究者に気候変動および「10億本の植林」全国運動について話を伺った。
ーー「持続可能性に関する対話2025―気候変動:10億本の植林」会議の意義をどう考えていますか。
同会議で気候変動が取り上げられている。「10億本の植林」全国運動が政府の主導の下で進められ、国民、企業、団体、そして個人までが参加している。「10億本の植林」全国運動を開始する際、温室効果ガスの吸収に重点が置かれていた。具体的に、気候変動による乾燥化は、モンゴルの植生、森林、低木、灌木、草花など全てのものに影響を及ぼしている。同運動は、気候変動の緩和、適応、特にモンゴルの経済や人々の暮らしに深刻な影響を及ぼす乾燥化への対抗が最重要である。
ーー専門家として、モンゴルにおける気候変動の進行はどれほど速いと考えていますか。
気候変動は、モンゴル国土において平均気温がどの程度上昇し、温暖化が進んだかによって示される。過去80年以上の間に降水量が7〜8%減少し、平均気温が約2.55度上昇した。これは世界の平均よりも速いと考えられている。世界の平均気温を2030年まで1.5度以下に抑える目標が設定されたが、既に1.55度上昇し、目標を超えてしまった。しかし、世界の平均とモンゴルの平均は異なる。モンゴルだけでなく、地球の寒冷な気候帯でも気温の上昇と急速な温暖化が観察されている。気候変動により、自然災害の数が増加している。モンゴルは温室効果ガスを14%削減する目標を設定している。植生を増やせば、温室効果ガスを33〜34%削減することができる。しかし、私たちの力で解決されない一つの脅威は気候変動である。その原因は大気中に放出される温室効果ガスである。モンゴルが排出する温室効果ガスの量は非常に少ないものの、一人当たりや一製品当たりの排出量は他の国よりも高い。
ーーモンゴルの土壌と気候にどの種類の樹木が適合しますか。
まず第一に、その地域に自生する在来植物を中心に植えるべきである。 ただし、どのような目的で植えるかによって大きく異なる。農地で風よけとして、道路の脇では防護壁として、都市部では装飾として植えるなど、目的によって適した木が異なる。従って、植樹は政策的に、専門家の関与の下で、いわば科学的な根拠に基づいて行うべきである。あちこちに好きな木を勝手に植えて放置することは効果がない。地方に、専門家ではないけれど自発的に木を植え、経験を積み、成果を上げている多くの人がいる。その人々の優良な経験を広め、経験を共有し、助言を受けることが最も効果的な取り組みであると思う。

― モンゴル・ポーランド外交関係樹立75周年記念日を迎えて ―
(ウランバートル市、2025年4月15日、国営モンツァメ通信社)オフナー・フレルスフ大統領は、2025年3月13日~14日にかけて、アンジェイ・ドゥダ・ポーランド共和国大統領の招請により、同国を国賓訪問した。同訪問の成果および両国の伝統的な友好関係について、ナワーンユンデン・オユンダリ在ポーランド・モンゴル国特命全権大使に話を伺った。
ーーモンゴル国大統領が12年ぶりに開催した今回の訪問の成果について、どのような点を強調しますか。
今回の訪問における最も重要な成果は、伝統的な友好関係が包括的パートナーシップに格上げされたことである。わずか数日間の訪問であったが、非常に多くの成果が得られた。合計13件の協定に署名した。
今回の訪問では、今後、包括的パートナーシップ関係を発展させる方法、経済交流の拡大、政治関係の更なる強化、国際舞台での協力など数多くの課題について意見交換が行われたことが、同訪問の大きな成果である。
ーーポーランドは、モンゴルへの輸出量において欧州連合(EU)諸国の中で首位を占めている。今回の訪問に合わせて開催された二国間ビジネス・フォーラムの成果を紹介してください。
モンゴル側から約100名のビジネスマンが出席した。 モンゴルが社会主義から市場経済に移行し始めた頃、非常に多くのモンゴル人ビジネスマンがポーランドからビジネスをスタートさせたという興味深い歴史がある。現在、モンゴルとポーランドの貿易総額は1億400万米㌦に達している。この貿易額を3~4倍、可能であれば5倍に拡大するよう、全力で取り組む意向である。もちろん、伝統的な考古学、古生物学、鉱業といった分野においても、多数の事業を実施する予定である。特に、銅の加工、製錬、精鉱において、数多くの事業を計画している。
また、農業分野でも多くの進展が見られると確信している。訪問団に、7人の大臣と10人の国会議員が参加した。7人の大臣のうち、4~5人が二国間会談を行った。例えば、農業大臣が会談を開催した。今後、ポーランドの技術、ノウハウ、知識、研究成果の導入により、モンゴルの農業分野でかなりの進展が見られると確信している。
現在、約190名のモンゴル人がポーランドに留学している。同国に滞在中の1000人以上のモンゴル人を通じて、二国の友好関係が更に強化されると確信している。ポーランドに1000人以上のモンゴル人が留学した。その人々もモンゴルとポーランドの架け橋になると確信している。

(ウランバートル市、2025年3月13日、国営モンツァメ通信社)エルデネビレグ・ハリオンボルド・モンゴル国功労選手は帰国した。ハリオンボルド選手はモンゴルのモータースポーツ界で最も優れた選手の一人である。同選手は、アラブ首長国連邦(UAE)アブダビで開催された世界ラリーレイド選手権に成功裏に出場した。現在、米国・ラスベガス市に居住し、働きながらトレーニングも行っている。ハリオンボルト選手は米国に戻る前に、インタビューに応じた。
――世界ラリー・レイド選手権(W2RC)に出場されたと聞きました。同大会についてせつめいしてください。
怪我をしてから約2年間モーターサイクルに乗らなかった。3年前から少しずつ乗り始め、コンディショニングしてきた。新たなキャリアをスタートできたことを嬉しく思う。最終的に、同選手権で14位に入賞し、別の種目でそれぞれ7位に入賞した。
―― 新たなキャリアを始めたとのことですが、次の大会の予定はありますか。
今回出場した大会は3つのシリーズで構成され、多くのことを学び、貴重な経験を積んだ。従って、残りの2つのシリーズにも出場したいと考えている。
―― 以前はモトクロスで競技をされていました。今後「ダカール・ラリー」に出場しますか。
もちろん、同じ機械を使用するので、共通点はあると思う。ただ、長距離レースなので、計画作成能力、ナビゲーションの技術を向上させる必要がある。ダカール・ラリーに出場することは完全にチーム協力が必要となるので、その面においても強化を図りたいと思う。もちろん、レースの準備も進めていく。個人的に「草原からダカールへ」プロジェクトを実施する。同プロジェクトの一環として、アスリートとしての旅を記録したドキュメンタリーを制作したいと思う。主な目的は、アスリートの忍耐力とレジリエンスを見せ、精神との向き合いが成功へ導いていくのを見せることである。一人のアスリートの背後には、どれほど多くの人々の努力と貢献が存在するか示したい。
―― モータースポーツに興味のある若者にアドバイスをお願いします。
多くの若者が電話やCメールでアドバイスを求めてくる。電話で話すことと、実際に指導することは全く異なる。従って、今年の夏、モンゴルに帰国し、若者を対象に研修を開催する予定である。

(ウランバートル市、2025年3月8日、国営モンツァメ通信社)今年は28回目の「モンゴル縦文字競書大会2024」国際コンテストが成功裏に開催された。「モンゴル縦文字競書大会2024」コンテストは、国際規模での開催が2回目となり、約1200人が作品を応募した。その中に、中国・内モンゴル自治区やロシア・ブリヤート共和国のモンゴル書道家たちの作品も含まれている。同コンテストの「美しい筆跡・書道」種目で1位を獲得したO.ガンジグール・モンゴル国立教育大学の教師ーモンゴル語・文学4年生のガンジグール氏に話を伺った。
--同コンテストに継続的に参加し、今年、順位を上げておめでとうございます。『モンゴル縦文字競書大会』コンテストへの参加は何回目ですか。
『モンゴル縦文字競書大会』コンテストに、中学校の9年生と10年生の時から参加し始めた。継続的に努力した結果、2023年と2024年に受賞できたことを嬉しく思う。
--毎年のコンテストの特徴はどのようなものですか。
モンゴル民族と世界のモンゴル書道家も参加するのが特徴である。モンゴル・カリグラフィーや縦文字を一定の範囲でグローバル化させていると思う。更に、全年齢層や異なる専門分野の人々が参加できる点も非常に魅力的である。
--モンゴル語・縦文字を学び始めたのはいつですか。また、カリグラフィーはどのように学びましたか。
私はブルガン県のフタグ・ウンドル郡で高校を卒業した。6年生の時に初めてモンゴル縦文字を勉強した。とても面白く感じ、直ぐに、全文字を覚えて読みたいと思っていた。カリグラフィーは9年生の時習った。地元で筆や墨などの書道道具があまり手に入らなかったので、それをウランバートル市から取り寄せていた。手に入れた道具は大切に使い、毎日練習することはできなかった。しかし、大学に進学してから、同じ興味を持つ友人たちと一緒に技術を向上させ、楽しく学んでいる。
--カリグラフィーを通じて得られる素晴らしいことは多いと思いますが、最も素晴らしいことは何ですか。
カリグラフィーを始めてから、大きく変わったと感じている。筆と墨を使っていると、本当に落ち着く。以前は思っていることをうまく表現できず、イライラすることもあったが、今では辛いときや気が乗らないときでも、筆を握って書くと落ち着く。更に、創造的な思考や忍耐力など、さまざまなスキルも身につけることができた。一つの作品を作るためには、何日も準備し、多くの考えを巡らせ、いろいろな方法で試行錯誤を繰り返さなければならないので、その過程が非常に学びの多いものであると感じている。
--毎年のコンテストでどれくらいの時間をかけて作品を仕上げていますか
一つの作品を作るために、2、3ヶ月前からアイデアを考え始める。あるいは、半年間考え続けていたアイデアを一週間で仕上げることもある。作品を作る方法について、常に考え続ける。今年の作品もコンテストのガイドラインが発表された後にアイデアを思いつき、2ヶ月間準備をしてから参加した。
--カリグラフィーを始めて教えてくれた先生について聞かせてください。
カリグラフィーは、ブルガン県のフタグ・ウンドル郡の学校でモンゴル語・文学の教師であるD.ムンフチメグ先生に教わった。先生は、正しい座り方、筆の使い方など、自分の知識を惜しみなく教えてくれた。先生のおかげで、しっかりとした基礎を築くことができたと思う。ムンフチメグ先生を見て、自分も先生のような良い教師になりたいと強く思っている。
--モンゴル縦文字を大切にしている人々は、他の人に伝え、影響を与えることが非常に重要であると思います。この点に関して、どのような活動をしていますか。
ありがとうございます。モンゴル国立教育大学では「ティテム」というカリグラフィー・サークルが無料で運営されている。学期毎に新しい受講生を募集し、筆の書き方、竹ペン、折り紙書道などを、自分のレベルに合わせて教えている。半年間授業を行った後、学校で展示会を開くことを目標にしている。今年も新規入会者を含め、約70人の学生がこのサークルに参加している。
--教師の職業を選んだのはなぜですか。
子どものときからクラスメートに自分が知っていることを教えるのが好きで、よくおしゃべる子であった。この性格が影響したと思う。中学に進学してからモンゴル縦文字や書道を学び、教師になりたいという夢が更に強くなったと言える。D.ムンフチメグ先生は「あなたは素晴らしい教師になるでしょう」と言われたことが、私の夢をより鮮明にしたかもしれない。
--2025年から、行政公文書にモンゴル縦文字とキリル文字の併用することになりました。同件についてモンゴル語専攻の学生としてどう考えていますか。
言語は国家の免疫のようなものである。モンゴル縦文字を日常的に使い、更に外国にも広めるべきであると思う。行政公文書が両文字で作成されることに賛成しており、これをきっかけに、より多くの人々がモンゴル縦文字を日常的に使用するようになることを期待している。
--カリグラフィーを学び、競技会に参加し、展示を開き、技術を磨き、協力して取り組む経験が積み重なってきたと思います。仲間や後輩、これから学ぼうとしている人にアドバイスをしていただけますか。
カリグラフィーをする人々をとても誇りに思っている。なぜなら、最初から正しい基礎を学ぶことが非常に重要だからである。紙をどう引くか、そこから始まる。カリグラフィーは忍耐力、根気、責任感、安定感を求める。
更に、カリグラフィーは大変時間と努力を要するので、決して諦めないでいただきたい。モンゴルの免疫の一つであるため、全ての人が是非興味を持って学んでほしいと思う。
--お忙しい中お時間をいただき、ありがとうございました。学業と仕事での更なるご成功をお祈り申し上げます。

(ウランバートル市、2025年3月7日、国営モンツァメ通信社)28回目の「モンゴル縦文字競書大会2024」国際コンテストを成功裏に開催した。同コンテストの「文書以外の作品」部門で1位を獲得した、モンゴル語と書道を尊び学びながら、また伝統文化を継承している、ウランバートル市ハンウール区第34番学校12年生B組の生徒、J.アリウンゾル氏に話を伺った。
ーー「モンゴル縦文字競書大会2024」国際コンテストの「作品」部門で1位を獲得したことをお祝い申し上げます。今回が初めての参加にもかかわらず、1位を獲得しましたね。コンテストの情報は最初にどこで得ましたか。
担任の先生が毎年同コンテストの展示会を見に行く。また、『フムーン・ビチグ』縦文字週刊紙を定期的に購読する。従って、先生がサークル生徒に参加を呼びかけ、同コンテストに参加することを決めた。
ーー同サークルはいつ設立され、どんな活動をしていますか。
サークルは1年前に設立されたモンゴル縦文字の「ゲゲーン・エグシグレンン」である。サークルの顧問はG.ダワーナサン先生で、書道や筆での書き方を教えている。そして昨年の春には、「ズーンフレー」寺院のM.エルデムビレグ先生に竹筆での書き方を教わった。現在は、E.アンフバヤル先生から筆での書道の授業を追加で受ける予定である。
ーーサークルの生徒数を教えてください。
6年生〜12年生の26人がいる。
ーー「モンゴル縦文字競書大会2024」国際コンテストの12年生の部門で竹筆で書いて参加しましたね。同作品を準備するのにどれくらいの時間がかかりましたか。
私は夏に竹筆で書けるようになった。筆での書き方はまだ習っていなかったが、選んだテーマでエッセイを書き、それを縦文字にして、文字脱字の確認は済ましていた。同作品を提出する前にM.エルデムビレグ先生からアドバイスをいただいた。そして、一晩で作品を下書きせずに書き終えた。

ーー竹筆で書くことは難しかったですか。
簡単だと感じた。一番大事なのは、最初から基本技術をただしく学ぶことであると思った。
ーーモンゴル縦文字を簡単に学ぶ方法をどのように見つけましたか。いつからより深く学び始めましたか。
以前は、他の学校に通っていた。その時は文章力は良かったが、読解力や他の知識が少し足りなかった。しかし、34番学校に転校してきたとき、モンゴル縦文字の先生が私をオリンピアードの準備に取り組ませた。それからモンゴル縦文字の授業がもっと好きになり、上達した。
ーーでは、今後モンゴル語・縦文字を専攻にする考えはありますか。
現時点ではそのような計画はまだない。将来的には法学を学ぶ予定である。
ーーご家族にモンゴル刺繍より作品をつくる方はいますか。
家族に刺繍をする人はいない。家庭科目で先生に技術を教わった。更に、YouTubeで動画を見て独学で学んでいる。
ーー独学で技術を向上させているのは本当に素晴らしいことです...現在、何枚のダリン(刺繍を施した布袋)を作りましたか。
毎年2枚のダリンを作っている。過去3年間で合計6枚のダリンを作った。

ーーコンテストのダリンはどのくらいの期間で作られましたか。
同コンテストに参加するつもりであると伝えたところ、先生に「自分の得意分野を活かして作品を作ってみてはどうか」と言われた。それで、作品のアイデアを考え、11月から制作を始め、約1ヶ月かけてダリンを完成させた。

ーー「モンゴル縦文字競書大会」コンテストの感想を聞かせてください。
同コンテストが全ての人に開かれていることに大変感謝している。誰でも参加できる機会があり、情報が広く普及し、主催者との連絡もスムーズにとれた。
ーー次回のコンテストもまた待っていますね。もちろん、他の部門にも参加するチャンスがありますよ…
ありがとうございます。参加する!他のカテゴリでも、同カテゴリでも自分の作品を更に改善し、挑戦したいと思う。
ーー初めてコンテストに参加して、優勝したことを家族や先生はとても喜んだでしょうね…
結果を聞いたとき、とても嬉しかった。母は特に喜んでくれた。先生もとても支えてくれたので、喜んでいた。
ーー同コンテストに参加したいと考えている同年代の人にメッセージはありますか。
自信をもって、好きなカテゴリに参加してみてね。入賞するか否かは重要ではなく、参加と挑戦は大切である。参加により身につく経験や知識が重要だと思う。






(ウランバートル市、2025年、2月11日、国営モンツァメ通信社)モンゴル国大統領の後援の下で第3回「モンゴルの持続可能な金融フォーラム2024」が開催された。今回、B.ダワーダライ・モンゴル国大統領経済政策顧問に話を伺った。
ーー今回のフォーラムで討論された課題は何ですか。フォーラムの特徴は何でしたか。
11月27~29日にかけてモンゴル国大統領の後援の下で「モンゴルの持続可能な金融フォーラム2024」が「モンゴル国 ―グリーン開発の金融調達」をテーマに開催された。フォーラムは3年目を迎え、大統領府、モンゴル持続可能な金融協会、ハーン銀行、国連モンゴル事務所が共催した。今回のフォーラムに規制機関、民間企業、市民社会の代表など各分野のグリーン開発リーダーたちが参加し、今後の協力と活動について話し合った。モンゴルにとって最優先的な課題は気候変動、土壌劣化、砂漠化である。また、モンゴルは持続可能な開発目標(SDGs)およびパリ協定の下で、2030年までに国際的な義務を果たさなければならない。従って、今回はグリーン開発、グリーン転換、その資金調達について明細に議論した。
ーー新政府は、グリーン開発、グリーン転換などに取り組んでいるのは、時宜を得たと思います。フォーラムでどのような成果が得られましたか。
一番大事であると思うのは、政府が市民や企業に対して、グリーン開発に関する具体的なプロジェクトやプログラムを詳細に説明したことである。今回のフォラームで、政府は市民と企業に対して3つの主要な情報を提供した。
1. 政府はエネルギー分野の改革と再生可能エネルギー・プロジェクトを実施する。
2. 農業分野では「食糧革命」、「ホワイト・ゴールド」、「新協同組合」の3つの国民運動が実施され、現在実施中の農業プロジェクトとプログラムの融資と資金調達において、グリーン開発基準を設定する。
3. 環境に優しく、省エネの住宅を建設した場合、住宅ローンに適用する。
ーーエネルギー、農業、建設分野を重視したのはなぜですか。
モンゴルが排出する温室効果ガスの約90%がこの3分野に関係している。そのため、これらの分野に注力することで、成果を出すことができる。具体的に、現在は家畜100頭のうち6頭だけが集約的に飼育されている。もちろん農業を100%集約的に開発することはできない。私たちモンゴル人は伝統と文化を守るべきである。しかし、特定の割合を環境に優しいものにし、グリーン発展を支援・発展させるのが適切である。つまり、100頭の20頭が農場方式で飼育されれば、環境を保護し、グリーン転換を一段と進めることができる。
ーーモンゴルに適した解決策は何ですか。国際専門家とモンゴル人専門家の提案は何ですか。
モンゴルは2030年までに温室効果ガスの排出量を22.7%に引き下げる目標を設定しており、そのため、二つの政策を実施しなければならない。まず、エネルギー分野の改革と農業分野の強化であり、家畜の頭数を環境に優しく適切なレベルに維持することである。さらに最重要な解決策は、二酸化炭素排出量の多い産業に税金を課すことであり、ビジネスが環境に悪影響を及ぼす場合、高額な税金を支払う原則である。環境への影響が少ない場合は、低額な税金を支払う。他の国々では、同制度を基本政策として採用している。モンゴルにはその規制がまだ導入されてない。モンゴル銀行は課税に関する調査を行っている。これは非常に公平なシステムである。一方、グリーン・ローンを利用した市民や実業家は低金利で長期ローンやインセンティブを受けることができる。
ーー全ての事業の推進力は資金調達である。モンゴルは資金がいくら必要ですか。
2030年までに温室効果ガス排出量を22.7%削減する目標を達成するには、110億米㌦が必要である。この一環、2021年にフレススフ大統領は毎年、環境分野に国内経済の1%に相当する資金を徴収する計画を立てた。つまり、モンゴルの経済が70兆トゥグルグとすれば、7000億トゥグルグがグリーン開発に費やされる。ただし、国家予算だけでなく、民間企業や国際機関など全ての財源を活用する。
ーーモンゴルはグリーン・ファイナンスの調達にどのような方法を利用していますか。
モンゴルに環境分野資金調達の世界ベストプラクティスが導入されている。この一環、世界自然保護基金と共同で「環境永続的な資金調達プログラム」を確立した。現在、国際投資家の助成金により7000万米㌦が投資されている。2030年までに政府と民間企業の協力により、さらに1億米㌦を調達する可能性がある。同基金の目標は、2030年までに特別保護地域の面積を30%に到達させることであり、モンゴルは同目標を法的に保障した。現在、特別保護区の面積は20%である。
ーーリーダーシップにおいて銀行と金融機関がより積極的であるようです。2030年までにグリーン・ローンを10%に到達させるという銀行の目標はどの程度現実的ですか。
銀行と金融機関はそのように取り組まなければいけない。近年、投資家が環境やグリーン開発に投資している。世界がグリーン・ファイナンス基準を採用している。モンゴルも世界的な基準に採用しなければ、国際市場から投資や資金を調達する可能性が低下する。
ーー新政府が自然環境・気候変動省を設立したことは、モンゴルがグリーン・ファイナンスに注力していることの表れですか。
フレススフ大統領は、国連気候変動会議に出席し、環境と気候変動問題に大きな注意を払っている。 オユンエルデネ首相もサウジアラビア王国のリヤド市で開催された国連砂漠化防止条約第16回締約国会議(COP-16)に出席した。さらに、連立内閣は環境観光省を自然環境気候変動省に再編した。近年、自然環境・気候変動に関する法律と法的環境を検討するよう国際機関に言われている。一部の国は「気候変動法」という独立した法律がある。その法律に気候変動に関する全ての内容が含まれており、政府の統治、各省庁の責任、資金調達方法などが盛り込まれている。
ーーお忙しい中、お時間を割いていただき、ありがとうございました。

(ウランバートル市、2025年1月26日、国営モンツァメ通信社)清水武則「モンゴル・日本友好協会」理事長は、2011~2016年にかけて在モンゴル日本国特命全権大使を務めた。数日前、モンゴルを訪問中の清水武則氏に話を伺った。
ーー清水さんは1977年にモンゴルに足を踏み入れました。それ以来約50年間が経過しました。モンゴルを訪れるたびに、最も強く感じることは何ですか。
私は1977年にモンゴルに足を踏み入れた。当時、モンゴル語を学ぶために来たが、残念ながらモンゴルが社会主義国であったため、大学の学生寮で過ごし、教えてもらうことはできなかった。私はベトナムの学生たちと一緒にモンゴル語を勉強した。その当時、生活は貧しかった。それ以降、長年が経過したが、実際にこの期間中にモンゴルで発生した変化を振り返ると素晴らしいという言葉以外は言えない。50年前に、モンゴルが発展のこのレベルに到達するとは想像もしなかった。それ以来、私はモンゴルに4回派遣された。従って、モンゴルは私の第二の故郷となった。
ーー清水さんは在モンゴル日本国大使館に4回派遣され、アタッシェから大使までの職務を務めました。大使としての任務を終了してから8年間が経過しましたが、今回の訪問の目的を伺ってもよろしいでしょうか。
大使としての任務を終えてから、様々な形式でモンゴルと関わってきた。3年前から、私の故郷である大分県の九重町とアルハンガイ県のツェンヘル郡との間で交流を始め、学生交換プログラムを実施することになった。今後、アルハンガイ県と大分県は協力していく予定である。そのため、今回は千葉工業大学で使用されていた550台のiPadを完全に更新し、ウランバートル市とアルハンガイ県の学校に寄贈するために来た。その350台がアルハンガイ県の諸郡の学校に配布される。同活動がモンゴルの教育分野に、ある程度、貢献すると考えている。もちろん、大使としての任務と比べると現在実施している活動はそれほど大したものではない。しかし、今私が目指している最大の目標は、子どもを対象にした活動である。
ーーモンゴルで大使として勤務する際、教育分野で多数のプロジェクトやプログラムを成功裏に実施しました。そもそも、清水さんの活動の中心がなぜ子どもと青年であってきたのでしょうか。
国の発展を加速させるのに人材育成が重要である。モンゴルの人々が健康で教育を受けていれば、どの障害も賢明に乗り越えることができる。そのため、モンゴルは教育分野を最優先にし、注力して取り組むべきであると考えている。
ーー清水さんに関する一つの話を聞いたことがあります。清水さんは、民営化の危機にあった「児童創作センター」の修理に投資を行い、その施設を引き渡したと言われています。当時、「これこそ私がやるべき仕事だ」と思ったと話したそうですが、そのことについてお話しをいただけますか。
ありがとうございます。実は、この話はすっかり忘れていた。同センターに多くの素晴らしい講師が働き、ゲル地区の多数の子どもが教わっていた。従って、その教育活動と周辺の取り組みを維持することが非常に重要であると感じた。そのため、屋根を修理し、引き渡した。当時、かなり努力して成し遂げた仕事の一つである。

(ウランバートル市、2025年1月12日、国営モンツァメ通信社)モンゴル国憲法裁判所の元裁判官であり、法学博士でモンゴル国立大学法学部教授であるTs.サラントヤ氏、憲法裁判所の元裁判官であり、モンゴル弁護士協会憲法委員会委員長で、モンゴル国立大学法学部教授であるSh.ツォグト氏、憲法裁判所の裁判官であり、元法務・内務副大臣で、博士であるV.オドワル氏の3人に「憲法」について話を伺った。
ーーモンゴルは2024年に初代憲法制定の100周年を迎えた。民主的な新憲法(4番目の憲法)は1992年に制定された。この2つの憲法の関連性や特徴をどのように考えていますか。
Ts.サラントヤ氏:1924年、1940年、1960年の憲法は、それぞれの時代の社会的関係の基盤を構築し、国民と政府との関係を調整する役割を果たしていたため、現代憲法の特徴を含んでいる。また、構造や論理の面でも、いずれも一貫したシステムを有する文書であり、成文化された憲法に求められる要件に応じる。上記の3憲法は、モンゴルの現代法制度の発展に大きく貢献したといえる。1992年に民主主義憲法が制定される以前、モンゴルでは裁判所が政府の独立した権限として認識されていなかった。当時、政府に忠誠を誓うことが、裁判所の独立や正義の勝利、侵害された権利の復興よりも重要視されていた。1924年の憲法に裁判官や裁判所に関する規定は一切含まれていなかった。しかし、1940年と1960年の憲法に裁判所と検察庁に関する条項が設けられたが、裁判官は数年ごとに選出される制度が採用された。裁判所と裁判官の独立性に関する概念は、現代のように確立されていなく、裁判や訴訟を公正かつ客観的に決定するための条件は、現在と比較してかなり制限されていた。また、憲法は国家の最上位の権限を有する法律として承認されていたが、その実施と保護は全く言及されなかった。憲法に対する理解と実施は1992年まで抽象的な理論の段階にとどまっていた。一方、新憲法では、市場経済、財産の多様性、思想の多様性、自由などが認められ、人道的かつ市民的で民主的な社会構築が目標として設定された。従って、1992年の憲法第2章に規定された全ての権利と自由が、モンゴル国全土で実現する扉が開かれた。また、他方で、人権や自由を保護するための前提条件を整備するために、政府は自らの行動を憲法に記載された権限の範囲内で行い、そこに定められた権力の分配や制限遵守が、同憲法の特徴を特定する。同件により、1992年の憲法は単に国家の最高法と呼ばれるだけでなく、生活において実際に機能する法基盤を構築したのである。
Sh.ツォグト氏:まず、憲法は政治学、哲学、歴史学、数学など、いくつかの学問分野によって説明される独自の研究対象であることを指摘すべき。憲法の初期理念は、1911年のモンゴル国の5省と上院・下院から開始された。しかし、1924~1960年の憲法に記載された選挙権と被選挙権は、一党制の下での普遍的な選挙性質をもっており、国民は自分自身の政治的指針に基づく真の選択をすることが不可能であった。また、上記の3憲法には現代的に見える多数の権利が盛り込まれていた。例えば、言論、出版、集会、デモの自由、男女平等の権利、労働と休暇の時間を8時間に制限するなど、ポジティブな法的規範が規定されていた。しかし、これらの権利はその目的に応じて制限されていたのである。一方、1992年に制定された民主主義憲法により、モンゴルは過去30年間以上にわたり、政治的な民主主義体制を基盤とした新指導体制の確立を目指してきたと概説できる。
V.オドワル氏:モンゴルは1924年に制定した憲法を1940年と1960年に改正した。社会の変革や改革の理念を反映させた改正が1990年に追加され、これにより以前の憲法の価値観、理念、原則などが変更され始めた。例えば、1990年3月23日に、モンゴル人民共和国の憲法改正案が承認され、1960年の憲法の約10条項に改正が加えられた。前文から「モンゴル人民共和国の政府と社会の指導的な勢力はマルクス・レーニン主義理論である」という表現が削除され、第82条が改訂された。この条文には「モンゴル人民共和国の国民は、人道的かつ民主的で社会主義的な社会を構築する目的、国民の根本的な利益と団結に沿った計画や規則を有する政党や他の公共団体に参加する権利がある」という表現が盛り込まれ、また、様々な思想をもつ政党や市民社会団体が国家を平和的に発展させる基盤が構築された。上記の理念は、1992年の憲法から明確に読み取れる。これは、1911~1924年にかけて、モンゴルが世界の憲法的原則の動向を模索していたことと同様なものである。

(ウランバートル市、2025年1月5日、国営モンツァメ通信社)モンゴル国大統領の管轄下にある言語政策国家委員会のN.ナランゲレル研究者とインタビューを行った。2025年1月1日からモンゴルは千年の歴史をもつモンゴル文字を公式に復活させ、モンゴル語に関する法律の重要な条項が施行されたからである。
ーー2025年が始まり、モンゴルは縦文字を行政の業務に使用し始めた。この取り組みは「モンゴル語に関する法律」に基づいて実施されており、その指導を行っている主要な機関は貴委員会です。
2015年に法律が制定されて以来、同委員会は大規模な構造で同法律の実施を開始した。その過程で、21県の330郡に支部委員会を設立し、10年間にわたって強化し、モンゴル文字の「全国プログラム」を実行した。そして、今日、国民に対して報告を行うことができ、大変嬉しく思っている。
指針と方針に関して「モンゴル文字の全国プログラム3」は2020年にモンゴル政府の決定により承認された。同プログラムは5年間の計画と実施の後、基本的に完了した。「全国プログラム」は4つの目標に基づき、69件の活動を通じて実施する予定であった。「モンゴル語に関する法律」に基づき、モンゴル文字プログラムを実施し、適切な準備が整った上で、行政機関および地方自治体はキリル文字とモンゴル文字の両方で業務を行う。
4つの目標の枠で69件の取り組みの95%が達成されたと見なされ、行政の業務がモンゴル文字の活用により行われるようになった。
ーーモンゴルはいくつの行政機関がありますか?そのいくつがモンゴル文字とキリル文字の両方で業務を行い始めていますか?
2022年に印刷ページの標準が策定された。合計4200箇所の行政機関があり、全職員を対象に研修が実施されてきた。研修の一環、教科書、携帯電話用の電子ツール、教師用のマニュアルが作成された。全国プログラムに基づき、私たちは国家公務員研修プログラムの内容も決定した。
2024年12月27日までの調査によると、モンゴル全国に4200箇所の行政機関があり、その50%、つまり2022箇所の機関がモンゴル文字とキリル文字の両方を活用しているという情報がある。
ーー法律の規定ではキリル文字とモンゴル文字を併用して業務を行うことになっています。一部の機関はすでに2022年から準備を整え、10種類以上の公式文書にキリル文字とモンゴル文字の両方を活用しています。モンゴル文字を復活させることが重要であるということで、モンゴル文字だけで進めていったらどうかという意見もあります。この点についてどう思いますか。
法律の規定に従う。法律では、キリル文字とモンゴル文字を併用すると定められているので、併用しなければ効力をもたない。一部の人々は、二重の紙に印刷して経済的に損失を被るのではないかという問題を提起したが、モンゴル政府は「デジタル・ネイション」プログラムを実施しており、電子的に公式なやり取りができる環境が整っている。従って、経済的な損失はないと考えている。

(ウランバートル市、2024年11月14日、国営モンツァメ通信社)アゼルバイジャンのバクー市で開催された国連気候変動枠組条約(UNFCCC)の締約国会議(COP29)において、バトムンフ・バトツェツェグ外務大臣に話しを伺った。
ーーCOP29の会議で、モンゴルの大統領が出席し、モンゴルの立場を表明した。このような会議で大統領が出席することの意義は何であるか。
オフナー・フレルスフ大統領は、COP29の首脳級会議で演説を行った。今年で大統領に就任してから4年目を迎える中、モンゴルは気候変動対策に関するイニシアティブに参加し、自国の立場を表明するとともに、ハイレベルで積極的に関与し、責任と約束を果たしている。
大統領が参加することは、モンゴルが気候変動への対応に対して重要な関心を持ち、自国の役割を強調していることを示している。私たちは、約束した事項を実行し、毎年開催されるCOP会議で採択された最終文書に記載された条項を遵守し、交渉活動を調整するなど、多方面で重要な意義を持っている。
さらに、モンゴルの大統領がこの会議に出席することで、100を超える国の国家元首や外務大臣と直接会う機会が得られる。これにより、各国との意見交換や対話が可能となり、国際的な協力を深める貴重なチャンスとなる。
ーー大統領は演説の中で、モンゴルが2026年に砂漠化対策に関するCOP17会議を開催することを言及した。この件について。
モンゴルは2026年に砂漠化対策において非常に積極的なイニシアティブを示すものであり、COP17という砂漠化防止に関する会議を自国で開催することを大統領が表明した。モンゴルは、世界中で砂漠化が進行している国々を招待し、この分野における国際的な科学者らを招待して研究成果や発表を行い、会議の準備を国連と共同で進める予定である。
モンゴルは遊牧による家畜飼育を行っており、気候変動や砂漠化の影響を大きく受けている国である。特に発展途上国にとって、これらの課題は大きな試練となっている。なぜなら、気候変動対策に充てる予算が非常に限られており、その結果より多くの被害を受けているからである。
また、モンゴルは伝統的に自然環境や家畜と調和して生活してきた遊牧民の国であり、その文化を今も大切にしている。私たちは常に、自然と共生する生き方を実践し、世界中に対して「自然と調和して生きること」の重要性を呼びかけている。

(ウランバートル市、2024年10月31日、国営モンツァメ通信社)『永遠の天の文字・モンゴル縦文字競書』の書道展示会が開催される。同展示会に関連して、書道の現状や今後の発展について、バトバヤル書道家・画家・教師にインタビューした。
ーーカリグラフィーとは何か、具体的に説明してください。
ギリシャに由来する言葉で、カリグラフィーは単なる書道だけでなく、非常に広い範囲で説明されている。簡単に言うと、美しい文字が人に好まれる場合、それはカリグラフィーと呼ばれる。
また、カリグラフィーの教育が必要である。政策として支援されるべきである。しかし、モンゴルでは、数人が数語を書いてそれを販売することにとどまっているため、現在の状況では多くの人が書道の価値を理解していない。実際、書道は非常に貴重な芸術である。
ーー バトバヤルさんはどのようにモンゴル縦文字を筆で書く技術を学んだか。
私は学校でも美術学校でもモンゴル縦文字を教わらなかった。しかし、私の父は全ての書類をモンゴル縦文字で記入する会計士であり経済学者だった。1987年から父が書いたものを読むことに挑戦し始め、そこで初めてモンゴル縦文字を学んだ。
街の装飾を専門とする画家らと協力し、スローガンや絵、装飾を受注して制作していた。現在での竹の筆のようなもので書いていた。1991年9月18日に「モンゴルの本」という展覧会を開催し、その中で「一滴のインクで」という書道展覧会も同時に行った。
ーーそれはモンゴル初の書道の展覧会か。
その前には、書道について話されることがなく、展覧会も開催されていなかった。90年代に民主化が進み、人々が商売を始めた頃、私は「自国で何か貢献する必要がある、何をしようか」と考え、ただ文字や書道を広めていこうと決意して、その展覧会を開いたのである。
美術学校では文字の芸術、つまりフォントの芸術が教えられている。それを基に、外の世界での作品の変化を見て、自国の文字や書道を発展させることができると勇気を持ったのである。

(ニューヨーク市、2024年9月25日、国営モンツァメ通信社)オフナー・フレルスフ大統領の外交政策顧問であるE.オドバヤル氏に話を伺った。
ーーフレルスフ大統領は、第79回国連総会に出席中である。モンゴルは、国連の改革に関してどのような提案を行うことができるか。この会議では、国連安全保障理事会からロシアを除外することについて、研究者らが意見を表明している。
私たちは数年前から立場を明確に表明している。国連の改革に、安全保障理事会だけでなく、その他の全てのメカニズムも含まれている。これはウクライナとロシアの戦争以降に議論されている問題だけではない。モンゴルは国連の改革を支持している。しかし、ロシアを除外するかどうかの問題については言及しない。安全保障理事会のメカニズムは、現在の5つの常任理事国に限らず、他の国々を追加する必要があるという点で国連全加盟国が協議し合意を得、長年にわたり議論を続けている。従って、国連は現在よりも強力で名誉あり、効果的かつより安定的な決定を下し、それが実行される組織となることを目指す立場が明確に示されている。
ーー今回の国連総会におけるフレルスフ大統領の参加はどのようなものになるのであろうか。
フレルスフ大統領は2021年に大統領に就任して以来、国連総会に出席しており、これはモンゴルの外交政策の重要な一環となっている。国連総会の今年の会議には、2つの大きな特徴がある。一般討論のテーマは「誰一人取り残さない ― 平和の促進、持続可能な開発、そして今日と将来世代の人間の尊厳のために共に行動を」である。
アントニオ・グテーレス事務総長の主導による「未来サミット」にフレルスフ大統領が出席する。同サミットでは、各国の首脳らが3つの重要な宣言文を採択する。その後、フレルスフ大統領は国連総会第79回会議の一般討論に出席する。この際、国際関係の重要な課題についてのモンゴルの立場、外交政策の目標や優先事項を紹介する。
多極的な世界秩序が形成されつつある現在、この時期の証人として、人類が平和、友好、相互理解、相互信頼、文化、歴史、発展の道、そして多様性を互いに尊重する世界秩序を構築することを願っていると述べ、平和と友好を呼びかける。

(ウランバートル市、2024年9月20日、国営モンツァメ通信社)9月30日、政府庁舎で第1回モンゴル翻訳者・通訳者全国フォーラムが開催される。同シンポジウムを前に、電子翻訳の利点と欠点、今後の動向についてモンゴル国立大学モンゴル語・言語学部のE.ムンフオチラル副教授兼博士に話しを伺った。
ーー最近、電子翻訳がますます普及している。この現象について人々は批判的な見方を持つ傾向がある。同分野の専門家として電子翻訳の弱点についてどのように考えているのか。
現代の翻訳研究では翻訳を三つのタイプに分類する。人間による翻訳、コンピューター支援翻訳(CAT)、完全自動翻訳(AI翻訳)である。
最近の専門分野における翻訳動向を見るとコンピューター支援翻訳が主流になっている。つまり、コンピューターが間違いなく正確な部分を翻訳することにより時間が節約され、プロの翻訳者が人間の知性が必須な部分をその専門的なスキルに基づいて翻訳する。
完全自動翻訳の最も優れたプログラムはアリババ、アマゾン、グーグル、アプテック、バイドゥ、マイクロソフトなどがある。これらは多言語対応の面で優れている。
完全自動翻訳の弱点は、国の文化の特性、文体の微妙なニュアンス、専門的な知識などを細かく翻訳する際に誤りが生じやすいことである。また、同義語の選択や文脈に応じた意味付けにも問題があることが多い。
ーー翻訳は専門家の技術と知識が試される仕事である。電子翻訳の登場により、翻訳者にはどのような利点が生まれたのか。
人間の言語をコンピューターで処理する技術は1940年代から始まった。これまでの経過を振り返ると電子翻訳プログラムは決して簡単なものではないことが分かる。確かに、電子翻訳ソフトウェアは現実のものとして進化し、既に日常的な使用となっている。
翻訳ソフトウェアの利用により、翻訳者は繊細な感性や高度な専門スキルを必要としない単純な部分を迅速に自動で処理できるようになったことは大きな利点である。一方、軽微な誤りを含むバージョンを迅速に生成し、それを修正することで場合によっては時間を節約することができる。


(ウランバートル市、2024年9月12日、国営モンツァメ通信社)9月30日、政府庁舎で第1回モンゴル翻訳者・通訳者全国フォーラムが開催される。
モンゴル大統領府、モンゴル国立大学、国営モンツァメ通信社は同フォーラムを共催する。
フォーラムの開催準備作業の枠内で翻訳業界の団体や市民による討論が行われ、意見が集約されている。 9月6日、7日、10日に「翻訳業界の問題」、「翻訳者・通訳者のスキル」、「翻訳作業の品質と基準」、「翻訳業界における開発と解決策」をテーマにした討論が開催された。9月12日、翻訳者・通訳者の倫理に関する討論が行われる。
同フォーラムについてシャグダルスレン・エグシグ・モンゴル国立大学准教授兼翻訳者・通訳者資格評価センター長に話を伺った。
ーーフォーラム開催の目的は何であろうか。
モンゴル国立大学の研究者らが同フォーラムの開催を発案した。モンゴル国立大学で翻訳者・通訳者資格評価センターが開設された。同センターの目的は翻訳者と通訳者の能力を調査することであり、また、世界に遅れを取らず、共に歩むように注意を払うことである。
翻訳の品質が社会で議論される。国民は批判するが、解決するための措置を講じない。その他、2021年以降の調査によると、モンゴルの翻訳者・通訳者の能力は世界水準を下回る。特に、戦略的能力または翻訳者・通訳者の多数のスキルを調整する能力が低いという調査結果が出た。これを直す必要があり、翻訳者・通訳者自身が国家レベルで討論する必要がある。このような理由で全国的に討論すべき時期が到来したと思う。
ーー翻訳が不十分になる理由は何であるか。
母国語と外国語の十分な知識があってからこそ質の高い翻訳と通訳が可能になる。翻訳・通訳が不十分になる理由の1つは、母国語教育の質が低下したことである。また、外国語能力を評価する制度もない。従って、翻訳者・通訳者の能力向上を取り扱う時期がきた。
ーー人工知能が翻訳者・通訳者を代替することは可能か。
翻訳業界は世界的に存在している。同業界の動向は機械翻訳・通訳であり、機械翻訳・通訳が主流になりつつある。従って、世界と歩調を合わせるために大学生に知識を提供しなければならない。モンゴル国立大学は、人工知能やコンピューター、機械などによる翻訳・通訳に関する知識の提供を目指し、カリキュラムに取り入れた。
国際翻訳家連盟(FIT)がある。同連盟は毎年スローガンを立てる。今年のスローガンは興味深いものである。過去の優れた翻訳作品の著作権を保持するにはどうすればよいか、この問題の解決方法は何か、というスローガンである。これは、人工知能が引き継いだ場合、過去の優れた翻訳作品がどうなるかに注目を払ったことであると思う。
ーーモンゴル翻訳者・通訳者全国フォーラムにどのように参加できるか。
興味のある方なら誰でも討論に参加できる。討論に参加できない場合は、参加する別の機会が与えられる。それは、アンケートに記入し、オンラインで提言を送信することである。
ーー同フォーラムの意義は何であるか。
翻訳者と通訳者の社会問題とは何か、自らのスキルをどう見ているか、翻訳作品の品質と基準はどのレベルにあるか、今後同業界の発展はどうなるかという課題に対し解決策を決定する。これら課題に関して事前協議が行われる。翻訳者が直面している問題について、全国レベルで議論する。問題に対するアイデアや解決策があれば政府に報告し、翻訳者・通訳者の宣言を発行する。また、他の提案を提出する機会を与え、主要な問題を解決する方法を決定する。

(ウランバートル市、2024年9月5日、国営モンツァメ通信社)ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン・ロシア連邦大統領の訪問の結果とそれを取り巻くいくつかの課題についてバトムンフ・バトツェツェグ外務大臣に話を伺った。
ーー近年、モンゴルの積極的な外交政策を証明する多数の訪問が行われている。昨日終了したプーチン・ロシア連邦大統領の訪問はかなり注目を集めた。
プーチン大統領の訪問は国内のみならず海外からも注目を集めた。これについて語る前に、モンゴルの独特な位置、地政学的環境、それによる安全保障と外交政策の基本原則について言及する必要がある。
モンゴルの外交政策の理念に「ロシアおよび中国と友好関係を維持することは、モンゴルの外交政策の最優先の目標であり、これらの国々との関係のバランスを取り、良き隣国として広範な協力を発展させる。その際、我々は、これら両国との歴史的伝統と経済協力の特徴を考慮する」とされている。
どの国にとっても、近隣諸国と友好的かつ定期的な関係と協力を保つことが重要である。従って、モンゴルは隣国と全面的に安定的な関係を保ってきた。今後もそうなるであろう。
モンゴル政府は2024~2028年に14件のメガ・プロジェクトの実施を計画している。ロシアおよび中国と多くのプロジェクトで協力する。
2年前、中国とロシアの外相らがモンゴルを訪問した。ロシアの国家元首が訪問したところである。モンゴルと中国の外交関係樹立75周年と包括戦略的パートナーシップ10周年を機に、近いうちに中国のハイレベル訪問が開催される。
訪問や会議は事前に計画される。特にレベルが高くなるほど、更に多くの時間と準備が必要になる。関係の歴史や特性に応じて、定期的かつ伝統的な訪問も行われる。フレルスフ大統領は2021年にロシアを訪問する際、プーチン大統領がハルハ河戦争勝利85周年を機にモンゴルを訪問するよう招待した。今回の訪問はそれに従った開催された。以前、ハルハ河戦争勝利70周年、75周年、80周年を機にロシア国家元首がモンゴルを訪問した伝統がある。もちろん、これら訪問は両国の貿易、経済、インフラなど現在の課題について話し合い、合意に至る良い機会となる。
これら全ての訪問の背後に外交政策のバランスを維持するという原則がある。バランスの取れた関係は、モンゴルの外交政策の最優先の目標である。ロシアと中国の他に第三隣国もある。
ロシアおよび中国との関係はバランスをとる必要がある。その他、第三隣国との関係もバランスがとれていなければならない。