歴史の復興:世界史におけるモンゴルの影響を灯すマリィ・ファブロ氏

社会
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2023-07-16 13:34:45

『The Horde: How the Mongols Changed the World』(仮訳:『ジョチ・ウルス通史ー黄金のオルド』)の著者、歴史家であるパリ・ナンテール大学のマリィ・ファヴロ氏がモンゴル国営モンツァメ通信社を訪問し、インタビューに応じた。


2021年にハーバード大学出版社発行による著書『The Horde: How the Mongols Change the World』(仮訳:『ジョチ・ウルス通史‐黄金のオルド』)が忽ち研究者やモンゴル史に興味のある読者達に好評を博した。

フランス人のマリィ・ファブロ氏はイギリスでポスドクをし、ロシア語とアラビア語に堪能であり、ロシア語圏の研究と、ジョチ・ウルス史の数多くの情報を提供するマムルーク朝のアラビア語における史料も読み抜いた上での労作となったと、国際的に研究者の間、高評価されている。

本書では、モンゴル帝国の征服により形成され、遊牧伝統を維持しながらも、環境に応じて進化・変化してきたアルタン・オルド(黄金のオルド)の歴史を統治、発展、存続、経済及び社会的側面で分析し、文化政策における研究者自身の評価を付け加えている。

2023年5月、Ch.バータル氏とSh.ノミンダリ氏によって翻訳され、モンスダル出版社によりモンゴル語で刊行された。




 黄金のオルド(Golden Horde)の栄光

「オルドは帝国でも世襲国家でも、ましてや国民国家でもなかった…」と始まるマリィ・ファヴロ著『オルド』。では、オルドとは何でしたか?その疑問に著者は「13世紀、モンゴル遊牧民族は非常に強力になり、西シベリアを含む現在のロシア全土を300年間支配し、大統治を行った。オルドはモンゴル人が馬の背から創設した帝国建設の中で最も長く存在した国家・ウルスである」と答えている。

13世紀にチンギス・ハーンの築いたモンゴル帝国、イル・ハン国、チャガタイ国、元朝について世界史で良く出るもののジョチ・オルス(黄金のオルド)についてなかなか出てこない。この本では「黄金のオルド」の社会と政治状況を明確に示し、世界史に残した栄光と遺産を新たに取り扱っている。

ジョチ・ハンが亡くなり、1240年代にヴォルガ川、ウラル山脈、黒海の穏やかな気候の地域に移住し、新たな柔軟なモンゴル政権樹立により栄えたのがジョチ・オルス、その帝国を「アルタン・オルド」と名付けた。アルタン・オルドは、今日の地図で表すとウクライナ、ブルガリア、モルドバ、アゼルバイジャン、グルジア、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タタールスタンとクリミアを含むロシア地域となり、ユーロアジア大陸の貿易を支配し、16世紀までロシアと中央アジアの発展の方向性を決定した国家である。

13世紀後半からはユーラシア大陸のほぼ全土で経済交流が活発になり、人々はラクダに乗ってイタリアから中国まで安全に移動していた。歴史では、この時期を「パックス・モンゴルリカ」、つまり「モンゴルの大平穏」と呼ぶ。この「モンゴルの大平穏」を「モンゴルの大交換」とも呼べるとマリィ氏は語り、サハラ横断交換やコロンビア交換などの世界を変える出来事と同等に巨大な歴史的現象であり、チンギス・ハーン一族によって生み出された偉業であると強調している。

実際、「モンゴル大交換」により芸術の隆盛、工芸品、植物学、薬学、天文学、計測システム、歴史学など多くの分野で研究開発と発展が進み、大きな変化をもたらした。





――まず初めに、私たちの招待に応じていただきありがとうございます。マリィ氏がモンゴル研究に関わったきっかけから話を始めたいと思います・・・

私がモンゴル研究に携わるようになって20年経つ。最初、パリ・ソロボン大学で修士論文のテーマを選ぶ際にオスマン帝国やフランス植民地の歴史など、研究できるトピックがたくさんあったが、中でもモンゴル帝国は世界史に大きな影響を与える事に関心を持ち、モンゴル帝国の歴史を学ぶことにした。それ以来、モンゴル研究に人生を捧げた。


――今回は主な研究成果である著書のモンゴル語出版に対するご自身の感想を教えてください。

今回のモンゴル訪問の目的は、モンゴル語で書かれた『オルド』という本の出版に参加するためであった。この本は最初に英語で出版され、フランス語でも出版されている。しかし、最も重要だと認識していたのは、この本がモンゴル語で翻訳され、モンゴル人が理解できるようにすることであり、この目標が達成でき、嬉しく思う。

翻訳チームに、フランス語と英語の翻訳者であるSh.ノミンダリ氏が重要な役割を果たしてくれた事をここで言及したい。また、モンスダル出版社の従業員や翻訳チームの方々に心から感謝の意を表したいと思う。『オルド』の出版の時期に、毎年恒例の「ブック・フェスティバルー2023」がウランバートル市で開催され、同フェスティバルで私は読者と会う機会があり、本を贈呈した。多くのモンゴル人に自分の本を説明し、学者だけでなく一般の方々にも私の著書を読んで頂ける事を改めて嬉しく思う。





――モンゴル帝国の歴史を通して、その栄光を世界中に広める研究活動をしている研究者として、現在のモンゴルをどう思いますか?

私はモンゴルの歴史を誇りに思い、モンゴルの将来についても輝かしく見る人間である。研究において、フランスとモンゴルの研究者がさまざまな方法で協力し、両国間の協力関係と文化は調和のとれた正しい方向に進んでいる。モンゴルに来ると、まるで故郷に帰ってきたかのような気分になる。それに加え、モンゴル人は今でもチンギス・ハーンの歴史と文化を受け継ぎ、尊重することを誇りに思う。モンゴル人同氏の会話が歴史の話で盛り上がることを、研究者として重要だと思う。モンゴル人はそれ位に自分たちの歴史を尊重する人たちだと思う。


――著書で主に伝えたかった事は何ですか?

モンゴル人が「黄金のオルド」を築いたときに、独自の国家建設方法、見解、言語、文化、貿易、コミュニケーション、宗教を持ち込んだ。つまり、モンゴル最大の特徴である遊牧文化がヨーロッパに伝わったのが、研究の主な興味深い点の1つである。

モンゴル人によりヨーロッパにもたらされた文化や価値観は3世紀にわたり続き、ヨーロッパのさらなる発展の基盤として残ったと見たのが、この本を書くきっかけになった。

歴史上、特にヨーロッパではモンゴル帝国の征服と衰退に焦点を当てることがよくあるが、私の研究では、モンゴル帝国の拡大によって残された強力な国家であるジョチ・オルスのアルタン・オルドがユーラシア全域に300年間存在し、その遺産が現在の世界秩序の一部を確立し、歴史と文化を創造し豊かにし、領土を残すことに貢献した事を、事実に基づいて表現する事を目的とした。



――アルタン・オルドに関する他の書籍と違って、マリィ氏の研究のユニークで革新的な所は何ですか?

もちろん、過去にはアルタン・オルドに関する多くの研究や本が出版された。この時代の歴史は、さまざまな肯定的側面と否定的側面から考察される。

しかし、アルタン・オルドの遺産と世界史への貢献は、しばしば影が薄くなりがちである。モンゴル帝国は、13世紀から15世紀にかけて起こった世界史の一部である。これが16世紀ヨーロッパでのルネサンスの起源となったと言える。このように徐々に今日の新しい時代がもたらされているのである。

ルネサンスの理由は、モンゴル人によって導入された秩序、習慣、文化、言語、宗教がヨーロッパ人に影響を与えたからと言える。その結果、この同地域では自由な考え方が生まれ、知識と教育が重視され、将来の目標を決める基礎が築かれたと考えられる。

モンゴル人が私たちヨーロッパ人に知識、自由貿易、そして将来に対する異なる見方の基礎を与えていなかったら、ルネッサンスや新しい時代があったのかが疑わしい。従い、私はヨーロッパの現在の発展の基礎は、モンゴル人に由来するという考えを強調し、本書を刊行した。

ロシアの研究では、モンゴル人は野蛮人や破壊者として描かれることが多い。長年にわたり、人々はこの観点からモンゴル征服の歴史を想像してきた。これは間違っていると思う。モンゴルの征服は、殺害や破壊を目的としたものではなく、寧ろ一定の秩序を確立し、それによって安全で容易な外交関係、経済、貿易のシステムを構築するという政策をとっていた。この政策に基づいてアルタン・オルドが築かれたと考えられる。実際、モンゴル帝国の征服中も、アルタン・オルドの大群の時代も​​、モンゴル人は破壊と殺害による領土拡大と支配政策を追求しなかったのである。

逆に、占領国に秩序を確立し、多くの民族、文化、宗教の人々を団結させ、基本的な文化と宗教を尊重し、それら諸国の国民が居住地域で生活を続けることを妨げず、貿易関係を障害なく遂行し、注意を払ってきた。この意味において、世界の歴史の中で言及される時代はパクス・モンゴリカ(モンゴルの大平穏)と呼ばれる。

この本の主な考え方をもう一度要約すると、今日のロシアと呼ばれる国は誰だったのか、モンゴル人が世界史にどのような遺産を残したのかを説明しようとした。

私は歴史家であり、私が言ったこと、書いたことには証明されるべき証拠が必要である。この証拠はアーカイブされ、これまで閉ざされていた、又は閉館していた博物館や図書館にしかなかったアーカイブ資料を、この本を通じて一般に公開したことになる。


――アルタン・オルドは300年も存続し、モンゴル帝国の中でも一番長く存在した秘密は何でしたか?

アルタン・オルドの存続には少なくとも2つの要因があったと思う。第一に、ジョチ・ハン時代に確立された強力な相互貿易および経済関係ネットワークである。アルタン・オルドは地政学的にもヨーロッパとアジア、南部と北部を結ぶ重要な位置関係にあった。外交、貿易を結びつける政策は、アルタン・オルドの3世紀に渡る存続において重要な役割を果たした。第二に、アルタン・オルドは非常に優れた外交政策を持ち、支配地域および近隣地域の誰に対しても差別をしなかった。誰も国、人種、宗教によって差別される事なく、アルタン・オルドに忠誠を表明する者は誰でも受け入れる方針を掲げ、これが多くの民族や国家を集め、成長への大きな推進力となった。これらの要因により、アルタン・オルドは300年以上存続できたと考えられる。


――それでは、アルタン・オルドの影響力が低下し、崩壊し、他の勢力に支配された理由は何だったのですか?

前に伝えた通り、ジョチ・ハン時代に築いた強力な経済貿易関係がアルタン・オルド存在の主な基盤であった。しかし、15世紀にヨーロッパ全土に蔓延した疫病により、アルタン・オルドを支えた貿易ができなくなった。疫病により人口も減少し、影響力は低下し始めた。同時に、オスマン帝国の台頭がアルタン・オルド崩壊を加速させ、15世紀に黒海周辺を支配した。黒海はアルタン・オルドの大群諸国の正門であり、通信、貿易、経済の重要な港であった。

さらに、元王朝の崩壊と衰退など、多くの要因がアルタン・オルドを徐々に弱体化させ、崩壊を引き起こしたと考えられる。




――マリィ氏はオックスフォード大学の「Empire of Nomads」プロジェクトの研究員でもあり、今後、モンゴルの歴史に関する研究活動はどのように進めますか?

私は主にエジプトの研究に取り組んでいた。当時のモンゴル帝国はとても興味深いものであり、それを他の研究者たちに話すと、ほとんどが「滅びた国の何を研究するのか、そこまで重要なテーマではない」と言っていた。つまり、モンゴル帝国に関する議論は学者達に些細な問題として扱われていたのである。

帝国とはただ滅ぶもの、滅びたものを意味するものではなく、現代社会にも帝国の影響力があることを証明するために、オックスフォード大学の「遊牧民の帝国」プロジェクトに参加し、アルタン・オルドに焦点を当て、研究した。

「アルタン・オルド」という言葉は、遊牧民の魂を意味すると思う。この本はまだ始まりに過ぎない。まず、アルタン・オルドとモンゴル帝国の関係を探っていきたいと思う。次に、今は中国人は元王朝の歴史を研究し、ロシア人はロシア帝国について研究する。これらすべての研究成果を互いの研究に役立つように共有することを願う。このような共通の研究基盤を構築し、アイデアを組み合わせた作品が生み出され、それを個々の研究に連携し活用することが私の目標である。第三に、トルコのアーカイブから古いトルコ語文字でアルタン・オルド時代の情報を見つけた。そこでアルタン・オルド時代に使われていた言葉が、当時のモンゴル語と一致しているか、どの言葉が一致し、どの言葉が一致しないのか、そしてその理由を整理し、世界史の中で正確に提示する必要がある。最後に、モンゴル帝国の秘密と、今日も強い影響力を残すアルタン・オルドの研究を更に続けるつもりである。


インタビューの最後に、マリィ・ファブロ氏は、歴史とは単に紙に書かれ忘れ去られるものではなく、過去・現在・未来を繋ぐ連鎖そのものであり、一般の人々に理解してもらうことを目的とすると語った。