旭天鵬関「将来は、出身地のナライフから入門させたい」

スポーツ
jp_dotood@montsame.mn
2015-09-21 13:53:27

11日、日本大使公邸において、在モンゴル日本大使館および在モンゴル日本人会が名古屋場所後に引退した旭天鵬関の慰労会を開催した。慰労会には清水武則日本国大使をはじめ、在モンゴル日本大手企業の幹部ほか約50人が参加し、旭天鵬関の功績を讃えた。

旭天鵬関は1992年に大相撲初土俵を踏んで以来、23年間で何回も敢闘賞を受賞し、モンゴル人力士の中で初めて、横綱貴乃花を破ったなど複数の記録を立 てた。2007年11月の場所で旭天山が引退した後、来日した初のモンゴル出身力士6人の中では現役最後の力士となった。引退後は、大島親方として若手力 士の指導者としての道を歩むこととなった。

旭天鵬関は「これまで力士としていろんな事を学んだ。これからはモンゴル初の親方の名に恥じな いよう良い弟子を育てていきたい」と語った。清水大使は「初めて1992年に6人のモンゴル出身力士が来日しました。その6人から、旭天鵬関が一番長く相 撲を取り、2012年5月場所で初優勝し、辛抱強く頑張れば、きっと成功できるということを日本人たちに見せました。このことでも日本人の中で尊敬されて います。人柄も良い方で、日本の大相撲界で数々の成果を挙げ、モンゴル人力士の基礎を築いただけでなく、モンゴルと日本のスポーツ関係に貢献し、日本人に モンゴルという関心を引きました」と語った。慰労会では、引退すると決めた時の感想とこれからの人生について聞いた。旭天鵬関は、「今まで相撲界の人生を 歩んできたが、もう二度と土俵にあがらないと思ったら悲しくなって来ました。ファンの方々、自分の名前を書いた看板、『引退しないでください』と書いた看 板などを見ると、涙が出てしまいました」と語り、これから、日本で「大島」という相撲教習所を設立したいと述べた。もし、設立できれば、自分で日本全国か ら大柄な子どもを探すと言う。また、一つの教習所には1人の外国人だけが入門できるよう指定されているため、モンゴルからは、特に自分の出身地のナライフ 区から入門させたいとの考えを示した。

コメント