SANKOU TECH MONGOLIA社長ツェンデーフー氏: 夢は社員と共に成長めざし、世界に高品質製品を輸出すること

社会
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2021-12-01 12:15:14


弊紙「モンゴル通信」は、来年2022年のモンゴル・日本外交関係樹立50周年の記念に向けて、在モンゴル日本大使館と協力の下、「日本とモンゴルのビジネス交流の活性化」をテーマに、両国のビジネス分野で活躍し、日本で学んだ経験を持つ企業家をシリーズで紹介している。今回は精密部品を製造、輸出しているSANKOU TECH MONGOLIA社長と小林弘之日本大使との対談をお届けする。

 チメドツェレン・ツェンデーフー社長は、2001年に技能実習生として日本へ渡り、埼玉県の賛光精機で3年間、技術者としての研鑽を積み、20052月に同社の子会社としてSANKOU TECH MONGOLIA有限会社を創設した。また、3年間本社で学んできた工場長を全幅の信頼の下、全社一丸となって高品質な精密部品の製造・研究に取り組んでいる。

 「日本に技能実習生として行っていなければ、今の私はない」とキッパリ。コロナ禍の現在、輸送がネックとなっているが売り上げは上昇している。「将来は物づくり会社として日本市場を軸に、世界の油圧精密部品の50%のシェアを目標にがんばっていきたい」と力強く語る。1973年生まれ、働き盛りの48歳。



小林大使:ツェンデフー社長は2001年から日本で技能 実習生として研鑽を積まれたと伺っています。技能実習制 度の下で日本に赴かれた経緯をお聞かせ下さい。

ツェンデーフー社長(以下 「Tse):私が高校を卒業したのはモンゴルが社会主 義から民主主義に変わる混乱期でした。高校卒業後、いくつかの職を経験し、軍役も経て、23歳で一念発起して大学に進みました。物作りが元々好きで、これからのモンゴルにはエンジニアが必要だと考え、工学を専攻しまし た。2000年に大学を卒業しましたが、就職難のため専門を生かせずダルハン市の市場で働き始めました。その約1か月後、突然ウランバートルの叔父から電話で「日本で技能実習生として働く人を選考する試験が行われている。すぐにこっちに来い。」と言われました。叔父は、希望する職に就いていない私を見て、ふがいないと思っていたようです。独身であった私は、叔父の思いやりに感謝し、その日の夜行列車に飛び乗りました。翌朝ウランバートル駅に到着後、試験会場に直行して試験を受け、幸運にも合格できました。そして約半年間、毎日10時間の日本語の特訓を経て、2001119日に日本に 渡りました。当時の私の日本についての知識はテレビ番組から得たもので、優れた電気 製品、テレビ、カメラ、自動車等を生産し、高層ビルが立ち並ぶ国という程度でした。こういう国にいつか行って技術を学べたらいいなという漠然とした夢が、叔父がくれた一本の電話のお陰で実現し、日本とのお付き合いが始まったわけです。

私を含む6名のモンゴル人実習生を受け入れてくれたのは、埼玉県にある賛光精機株式会社です。夜に日本に到着 後、車で会社の寮に向かいました。昂る気分で車窓からキラキラと輝く高層ビルを眺め、日本人は夜遅くまで働くのだなと感心しました。しかし、車が進むにつれ、だ んだん街の明かりが少なくなるではありませんか。着いたところは真っ暗で、遠くの犬の鳴き声以外何も聞こえません。寮の部屋はとても寒く、モンゴルから暖かい日本に来たはずなのに、何故こんなに凍えるのだろうとそのとき感じた心細さを今でも覚えています。部屋にはエアコンが備え付けられていましたが、私たちモンゴル人はエアコンが暖房にも使えることを知りませんでした。日本での最初の朝、目が覚めると雪が積もっていました。私たちはモンゴルの家族に無事に着いたことを電話で報告しようとしました。モンゴルでは郵便局に行くと国際電話をかけられましたので、初級日本語の「郵便局はどこですか。」という表現を駆使し、雪の中やっとの思いで郵便局に辿り着きました。しかし、日本の郵便局では国際電話サービスを提供しておらず、国際電話カードをコンビニで購入するよう教えられ、モンゴルの家族に電話することができました。日本での新しい経験の日々がこうして始まりました。

小林大使:埼玉県の賛光精機株式会社で三年間、技能実習をされたと伺いましたが具体的に何を学びましたか。最も苦労したこと、驚いたこと、楽しかったことなどをお 聞かせください。

Tse:6人のモンゴル人技能 実習生のうち、最年少は20歳、私はちょうど真ん中ぐらいの年齢でした。CNCという機械加工のオペレーターとして働き始めました。私は、失敗を減らして生産性を向上させるために、会社が教えてくれることをすべて吸収し、自分の能力を高めたいと思いました。当初、いちばん難しかったのは、やはり言葉です。言葉が分からないせいで自分の言いたいことを理解してもらえず、また、日本人とモンゴル人の生活習慣が異なることを理解するのにも時間がかかりました。いちばん辛かったことは、言葉の壁によって、職場の日本人とモンゴル人技能実習生との間にストレスが溜まり、誤解が生じることが何度かあったことです。そこで社長夫人(アイコさん)が私たちに日本語を教えてくれることになりました。私たちの日本語学習意欲は高く、夜勤明けでも毎朝午前830分から1時間~1時間半、日本語の授業を受け、日本語力が飛躍的に向上しました。それに連れて職場の日本人とのコミュニケーションも円滑になっていき、休憩時間に日本人との会話を通じて様々な知識を吸収するのが楽しみになっていきました。社長夫人に心から感謝しています。

食事に関しては自炊していたので、あまり苦労したことはありません。私は納豆以外の日本食は大好きです。ときどき社長が私たちに「一緒に何か外に食べに行こう」と声をかけてくれるので、私たちは「白いひげのおじいさんのお店に行きたい」と答えていました。当時はまだウランバートルにケンタッキー・フライド・チキン(KFC)はなく、日本で初めて経験する味がとても気に入っていました。

小林大使:モンゴルに帰国後、なぜ精密部品製造会社を立ち上げることになったのでしょうか。御社の紹介も含めお聞かせください。

Tse:賛光精機株式会社での 技能実習の3年間は、相互理解の3年間でもありました。6人 のモンゴル人技能実習生のうち、この3年の期間を満了したのは私、フレルバータル(ESBソーラーエネルギー有限会社社長)ともう一人の3人だけです。2004116日にモンゴルに帰国するとき私たちは、当時の清水崇司社長(現在の会長)に「ぜひ7月のナーダム祭りのときにモンゴルにいらしてください」とお招きしました。すると社長はその年のナーダム祭りのときに本当にモンゴルを訪問してくれたのです。私たち3人は、様々な観光地に社長を案内しモンゴルを満喫して貰いました。社長は帰国する前夜、私たち3人を呼んで、「せっかく日本で身につけた日本語と技術を忘れないで生かしてほしい、一緒に何かビジネスをしよう」と言ってくれました。その時私は、日本の中古車販売と日本式の自動車整備サービスをする会社を興したらどうかと提案しましたが、当時はまだ日本車はモンゴル人にとっては 高価すぎてビジネスに適しないという結論に至りました。

社長は、それではと、自分の会社の子会社をモンゴルに設立しようという決意を話してくれました。そして、フレルバータルと私に新しい会社を作る準備をするよう命じて帰国されました。当時のモンゴルの法律の下、外国からの投資を受けている会社は、設立後5年間は法人税が免除されることが大きな追い風となり、また社長には、外国に子会社を設立するという長年の夢があったことから、2005216 日に精密部品製造会社がモンゴルに設立されました。社長がなぜそこまで私たちのことを気にかけ、会社を任せるという勇断をしてくれたのかはよく分かりませんが、一つには3年間苦労しながら勤務する私たちの姿を社長が見守り、信頼してくれたからではないかと思います。私たちは初めに交わした契約を守るという強い決意をもって辛いことも我慢しました。また、会社も私たちを守り、心を込めて指導してくれました。現在、私たちの会社は社員46名、15台の機械で248種類の精密機械・ 部品を生産し、100%日本に輸出しています。

小林大使:民主化以降これまでの30年間にモンゴル国内のビジネス環境もかなり整備改善されてきていますが、15年以上続いている会社は決して多くないと思います。勿論、日本の親会社(賛光精機株式会社)との関係が大きな支えとなってきたと思いますが、ユーザーが信頼し満足できる製品を生産できなければ、ビジネスを継続することは困難です。御社がこれまで成功を収めてこられた秘訣をお聞かせください。

Tse:親会社である賛光精機株式会社が私たちの会社の大きな支えとなってくれていることに感謝しています。今は新型コロナウイルス感染症の拡大のために中断していますが、本社の会長、社長、工場長、エンジニア等様々な立場の方がモンゴルの会社を常に視察し、支援してくれています。加えて、モンゴルの会社自身がサプライヤーとしての責務、即ちエンドユーザーが満足する高品質な製品を遅滞なく生産し続けることの意味を理解していることがここまで続けてこられた大きな要因であると考えます。勿論、モンゴル国内の関連会社、政府機関、グループ会社の協力、社員の家族の理解と応援も忘 れてはなりません。

小林大使:現在のモンゴルで工業部品を外国に輸出している製造会社は少ないと思います。激しい国際競争の中で、内陸国モンゴルの製造業が成功を収めるためには何が重要とお考えでしょうか。

Tse:確かに精密機械・部品製造(特に鉄鋼加工)の分野では、モンゴルから外国へ輸出する企業は少ないです。国際的に競争の激しい日本市場では、厳しい品質基準を満たさねばならないため、大きな責任を伴います。不断の努力によって約束を履行しつつ技術を向上させることが競争力をつけることに繋がると確信しています。特に今は新型コロナウイルス感染症の影響で流通に大きな影響が出ています。私たちの製品もこれまでは納期が近いもののみ空輸し、納期に余裕があるものは中国を経由し陸路・海路を利用していましたが、現在は8090%が空輸となっています。勿論コストはかかりますが、約束を守ることには代えられません。


小林大使:これからの御社の目標を教えてください。

Tse:今後5年の間に設備の増強(工作機械を36台増設)し、新しい製品を生産して30%の増益を目指しています。このためには従業員も増やさねばなりません。引き続き日本市場への輸出を軸としつつ、モンゴルの発展に一層貢献できる技術力と人材を擁する会社に成長したいという目標を持っています。

小林大使:技能実習制度や特定技能制度の下で日本へ行く若いモンゴルの方たちに、先輩としてのアドバイスはありますか。

Tse:国境を越えたら皆さんは一個人ではなく、モンゴル国、モンゴル人という看板を背負うことを是非自覚して欲しいと思います。モンゴル国の名を高め、汚すことなく、高い評価を受けるよう生きよということです。また、しっかりとした目標を持って下さい。日本の高い技術を習得すること、約束を守ること、責任を果たすこと、そして将来に備えて貯金もすることが大切だと若い人たちに伝えたいです。

Tse:牧畜民族であるモンゴル人は、基本的に自分の生活に必要な限りにおいて自然の恵みを活用し、足りないものは近隣国との交易によって手に入れるというユニークな経済・文化に依拠してきました。そのような国が、社会主義計画経済を経て競争原理に基づく市場経済へと移行したわけです。市場経済の経験が長く、農耕文化を背景に勤勉を美徳として常に更に良いものを追求してきた日本と比較すると、モンゴルはまだまだ市場経済についての理解経験が不足していると思います。このような両国が、今後互恵の協力関係を構築していくために、モンゴル人は教育を通じどのようなことを学ぶべきだとお考えですか。

小林:日本も含め多くの市場経済を採用している国・地域では子供の頃から日々の生活の中で市場経済についての理解・経験を自然に深めていくのが実態ではないかと思い ます。私の経験から述べれば、大学で理論的な経済学を学んだことはあっても、市場 経済とはどういうものか、市場経済の中で何をすべきか、といった実践的なことを学校 で学んだ記憶はありません。モンゴルが民主主義と市場経 済へ移行してから30年しか経過していませんので、新しい制度に理解経験が不足しているとしてもそれは仕方ないと思いますが、私がモンゴルを観察する限り、民主主義も市場経済もしっかりとモンゴルに根付きつつあると思います。重要なのは、市場経済の下でも考え方・行動に様々な選択肢がある中で、どれを選択するのがベター、ベストかということを、日々の生活を通じ試行錯誤を重ね体得することではないかと思います。ツェンデフー社長を含めモンゴルには既に市場経済の良き伝道師が数多く育っていると思いますので、こういう方々がそれぞれのビジネス活動の中で、モンゴル国民にそのような体得の場・機会を増やしていってくれることを期待します。

小林大使:ツェンデーフー社長は、日本とモンゴルの経済交流を活性化するために必要なことは何だと思いますか。

Tse:二国間の経済交流 を活発化するために法制度の整備が不可欠です。法律 をただ紙の上だけの空虚なものにせず、実際に機能させる必要があります。日本を含む外国とモンゴルとの経済交流を活性化するために、私は工業地帯を政府主導で作ってほしいと思っています。ただし、単に区画を作って「工業地帯」と名づけるだけでは意味がありません。電気、上下水道、道路、鉄道などの工業インフラを整備提供し、外国投資がし易い環境を創出することが重要です。工業地帯が建設されれば、私たちのような精密機械部品製造会社などのビジネスチャンスも拡大します。加えて、企業が安定的に活動できるまでの一定期間、税の軽減等の優遇措置を講じることが重要ではないでしょうか。


Tse:小林大使はモンゴルのビジネス環境をよくご存じだと思いますが、モンゴルに外国からの投資を呼び込んで発展させていくためには今後、どのような政策が必要だと思われますか。また、どのような分野に可能性があるとお考えですか。

小林:先ずは、当たり前の話ですが、約束は厳格に守るということを実践して欲しいと望んでいます。契約の支払い期限を超過する、当事者間の合意なく一方的に契約の内容が反故にされるという事例が散見されます。少しくらい遅れても支払うのだから問題ないだろうという大らかかつ柔軟な考えがモンゴルにはあるのかもしれませんが、これは是非改めて欲しいと願っています。世界でモンゴルにしかない資源、モンゴルでしか生産されない産品製品があれば、多少条件が悪くとも外国から当該分野への投資があると思います。しかし、どの国でも作れる産品製品であれば、長い陸上輸送のコスト等、大きな不利があるモンゴルには、このようなマイナスを補う優遇措置(モンゴル政府による基礎インフラの整備提供、優遇税制、等)が提供されない限り、外国投資は他国に流れると思います。外国投資を招致するためにモンゴルは他国と競争していることを十分理解することが重要と考えます。モンゴルには豊富な鉱物資源がありますので、鉱物資源開発は引き続き可能性のある分野だと思います。また、地球規模課題である気候変動への取組の上で、モンゴルの自然環境を活用した再生エネルギーも可能性の大きな分野だと考えます。この他、環境に負荷の少ない持続可能な農牧業、IT、観光といった分野にも大きな可能性を感じています。