清水武則氏:50年前にモンゴルがこれほど発展するとは思ってもいなかった
社会(ウランバートル市、2025年1月26日、国営モンツァメ通信社)清水武則「モンゴル・日本友好協会」理事長は、2011~2016年にかけて在モンゴル日本国特命全権大使を務めた。数日前、清水武則氏がモンゴルを訪問した際に、話を伺った。
ーーあなたは1977年にモンゴルに足を踏み入れました。それ以来約50年間が経過しました。モンゴルを訪れるたびに、最も強く感じることは何ですか。
私は1977年にモンゴルに足を踏み入れた。当時、モンゴル語を学ぶために来たが、残念ながらモンゴルが社会主義国であったため、大学の学生寮で過ごし、教えてもらうことはできなかった。私はベトナムの学生たちと一緒にモンゴル語を勉強した。その当時、生活は貧しかった。それ以降、長年が経過したが、実際にこの期間中にモンゴルで発生した変化を振り返ると素晴らしいという言葉以外は言えない。50年前に、モンゴルが発展のこのレベルに到達するとは想像もしなかった。それ以来、私はモンゴルに4回派遣された。従って、モンゴルは私の第二の故郷となった。
ーー清水さんは在モンゴル日本国大使館に4回派遣され、アタッシェから大使までの職務を務めました。大使としての任務を終了してから8年間が経過しましたが、今回の訪問の目的を伺ってもよろしいでしょうか。
大使としての任務を終えてから、様々な形式でモンゴルと関わってきた。3年前から、私の故郷である大分県の九重町とアルハンガイ県のツェンヘル郡との間で交流を始め、学生交換プログラムを実施することになった。今後、アルハンガイ県と大分県は協力していく予定である。そのため、今回は千葉工業大学で使用されていた550台のiPadを完全に更新し、ウランバートル市とアルハンガイ県の学校に寄贈するために来た。その350台がアルハンガイ県の諸郡の学校に配布される。同活動がモンゴルの教育分野に、ある程度、貢献すると考えている。もちろん、大使としての任務と比べると現在実施している活動はそれほど大したものではない。しかし、今私が目指している最大の目標は、子どもを対象にした活動である。
ーーモンゴルで大使として勤務する際、教育分野で多数のプロジェクトやプログラムを成功裏に実施しました。そもそも、清水さんの活動の中心がなぜ子どもと青年であってきたのでしょうか。
国の発展を加速させるのに人材育成が重要である。モンゴルの人々が健康で教育を受けていれば、どの障害も賢明に乗り越えることができる。そのため、モンゴルは教育分野を最優先にし、注力して取り組むべきであると考えている。
ーー清水さんに関する一つの話を聞いたことがあります。清水さんは、民営化の危機にあった「児童創作センター」の修理に投資を行い、その施設を引き渡したと言われています。当時、「これこそ私がやるべき仕事だ」と思ったと話したそうですが、そのことについてお話しをいただけますか。
ありがとうございます。実は、この話はすっかり忘れていた。同センターに多くの素晴らしい講師が働き、ゲル地区の多数の子どもが教わっていた。従って、その教育活動と周辺の取り組みを維持することが非常に重要であると感じた。そのため、屋根を修理し、引き渡した。当時、かなり努力して成し遂げた仕事の一つである。