セルゲレン医師:臓器移植の素晴らしさは患者が100%治ること

特集
41@montsame.mn
2018-01-22 16:31:29

モンゴルの医療分野、特に手術に関して、ここ数年でみるみる技術が向上しているのは、全モンゴ ル国民も知るとおりだ。最近では、世界トップ外科医5人にモンゴル人医師が選ばれたことで、モンゴルの医療界がより注目を集めたのである。その主人公がモンゴル国名誉医師、O.セルゲレン博士だ。本社は今話題沸騰のセルゲレン医師にインタビューした。

――世界トップ医師5人への選出、おめでとうございます。選出までの経緯を教えてください。  
 審査を行った世界外科医米 国カレッジは124カ国の外科医協会を一つにまとめた、会員数8万人の大規模な団体です。今回は70カ国から応募があった中で英国、アイルランド、フランス、日本、モンゴルの5 カ国の医師がトップに選ばれました。1万人収容の大会議室で会議が行われ、そこにWHOの 臨床医学の専門家が全員揃っていました。外科、麻酔科、救急、産科の代表者らも、世界各地から集まっていました。そこでモンゴルの名が呼ばれたのは、大変光栄なことでした。これは私だけの成果ではなく、モンゴル外科医全員の働きぶりが評価されたものだと思っています。

――医師を志したのはいつからですか?
 小学4年生の時からです。母が肝硬変にかかり、早く大人になって立派な医者になり、母の病気を治したいという、子どもながらの純粋な夢を描いていました。高校を主席で卒業して、モスクワに留学することになっていましたが、当時の私は「小児科医ではなく、大人を治す医者になりたい。だからどこにも行かない」とモンゴル国内での進学を希望して、1976年にモンゴ ル国立医科大学に入学しました。今思えばこれは正しい選択だったと思います。モンゴル医科大の授業はレベルが高いので、国内で進学して医師を志すほうがいいのです。

――学生時代から手術をし ていたと聞きましたが?
 大学1年生の頃から外科医を志し、どうしたら病院に入って手術を見られるだろうかと四六時中考えていました。後に肝臓治療の名医となるM.シャグダルスレン医師が当時4年生の先輩でした。彼に相談したところ、「今夜は僕が宿直だから、服を用意して手術室に来なさい」と言ってくれました。そこで自分で布を買ってきて手術服を縫って、言われたとおりに行きました。細 菌をうつしてしまってはいけないと心配して、ズボンもシャツもマスクも全部アイロンをかけました。シャグダルスレン先輩についていくと、手術を手伝うように言われました。最初は近づくなと言われたのですが、遠くからだとよく見えなくて、手術を見学したいなら近くまで来てもいいよ、と手術の担当医が言ってくださいました。それで顔がくっつくまで近づくと、「こら、あっち行け」と叱られてしまいました(笑)そうして初めて見た手術に感動して、 その晩先輩と一緒に宿直したときに「次はいつ宿直に来ますか、私もまた来たいです」とお願いして、1年生の頃から手術を見学していました。実際に授業で手術をしたのは3 年生のときです。そのときにはすでに、どこに触れていいか、いけないか、全部分かっていました。私が師事したのは「純潔なドルゴル」として有名なP.ドルゴル名誉医師です。先生から多くのことを学 びました。後にドルゴル先生 とJ.ポンツァグ名誉医師との共同研究で骨髄から細胞を取り出して消毒し、ワクチンを作って元の骨髄に戻すという治療法を開発しました。大学3 年生からは正式に手術をさせてもらえるようになり、宿直にも毎日のように来ました。当時、国立第一病院の外科はウランバートル中の急患を一気に請負っていたので、一晩中手術室の明かりが消えることはありませんでした。私が4 年生を終えて地方へ実習に行ったとき、シャグダルスレン 先輩はスフバートル県で外科医をしていました。そこで20日間休みなく手術をして、盲腸摘出手術も初めて経験しました。6年生を終える頃には盲腸の手術も上達して大学を主席で卒業した私を、恩師のドルゴル先生は外科の教員として採用しました。それ以来、医科大の外科教員、国立第一 病院の外科医として勤めて36 年になります。

――初めてモンゴルに肝臓 移植の技術を取り入れるのは簡単ではなかったでしょう?
 2002年にスイスからラザニ大学のジェレ教授がモンゴルを訪問したとき、医科大のTs.ラハグワスレン学長と私 がモンゴルに肝臓移植手術を導入したいと願い出ました。ジェレ教授はまずは腎臓移植 ができるようになってからだとアドバイスを下さり、2005 年に英国からM.スロパク医師 がモンゴルに来て伝授してくれました。腎臓移植手術は1996年から行ってはいたので すが、2005年まで定着しなかったのです。それで2007年、ジェレ教授の許可が下りて国立第一病院のD.バトチョロー ン医師と私の二人で、フィン ランド、ドイツで肝臓移植を学ぶために留学しました。自信満々でモンゴルに戻ると、私たちを応援してくれる人は少なくなっていました。20年先に実現するようなことを今やって、人の命をもてあそんでいると言う人までいまし た。ただ、ラハグワスレン学長は支援してくださり、科学技術基金に400万トゥグルグを手術研究費用として申請してくれました。こうして手にした400万トゥグルグで、豚を使った移植手術の実験ができました。

――現時点で国内で肝臓移 植手術を36件したとのことですが、患者たちの現在の容態はどうですか?
 最初に手術を施したのは、46歳の女性患者でした。ドナーもレシピエントも、今の容態はいいです。また、独立して9名の患者に肝臓移植をしたときの最初の患者だった30歳の女性も、容態は安 定しています。手術した人は全員、私たち医師と連絡を取って容態をチェックし、月に 一度検査します。手術を通して、縁の切れない兄弟や親戚になれたような感じですね。 36名の患者のうち、3カ月後の生存率は91%でした。肝臓移植の技術を取り入れて間もない国としては、50%成功すればいいところだと見るのですが、91%というのはなかなか良い数字です。

――国内で肝臓移植手術を受けられるようになったことで、治療目的で海外渡航する人は減りましたか?
 海外渡航者の数は激減しました。私たちは海外で移植手術を受けた150名ほどの患者らも管理していますが、それまで年に30~40人は治療目的で海外へ渡航していました。

――肝臓移植手術を受けるには、費用負担はどれくらいかかりますか?
 もちろん金額としては安くはありません。2011年当時の費用は6000万トゥグルグだったのですが、私たちは最初の患者全員に1000万トゥグルグで手術しました。ドル高の影響で年々値段が上がっていますが、2014年以降は8500万トゥグルグに固定しました。これ以上上げると、患者にも金銭的な余裕はありません。これはドルにすると300米ドルくらいになりますが、この 値段で肝臓移植手術だけでなく、殺菌剤まで準備してくれるところは、モンゴル以外どこにもありません。2015年末ごろからは医療保険も適用されるようになりました。

――多くの人の命を救いな がらお忙しいと思いますが、ご家族はサポートしてくれますか?
 パートナーや家族というの は、特に女性にとってとても大切な要素です。外科医を志す若い女性たちには、良い夫を選びなさいといつも言っています。実際に私の人生は外科手術に捧げたと言って相違 ありません。私には息子が一人います。息子にも外科医になってほしかったのですが、 北京科学技術大学を銀行コンピュータ・セキュリティ専攻で卒業して、今はモンゴル銀 行で働いています。また甥の一人は内科医で、もう一人は私に師事して外科医になりました。

――医師になってからこれまで何人の人の命を救いましたか?
 私は教授なので毎日授業があり、常に手術の現場にいることはできません。これまで 6000回ほど手術を経験しました。1998年には韓国で一番優れた胃の手術の専門医に師事して、韓国で100人ほどの手術に立ち会いました。当時モンゴルで胃の手術の成功率はわずか15%でした。私がモンゴ ルに戻ってから590人の患者に胃の手術を施しましたが、そのうち亡くなったのは2人で、 あとは全員助かりました。肝臓移植手術の技術を伝授してくれたのも、韓国の李医師で す。優秀な恩師たちのおかげで、これだけの人の命を救えるようになったと、感謝の気持ちでいっぱいです。

 ――今後モンゴルにどのような医療技術を導入する予定ですか?
 脳死臓器提供者からの移植ができれば、心臓、すい臓、肺などの移植が可能になります。まずはこの課題を解決しなければなりません。
 
本社記者:J.ボロル