長生きの秘密、モンゴル産黒クコの輸出開始経過

特集
41@montsame.mn
2018-01-31 17:00:35


日本帰国留学生たちの活躍ぶり(シリーズ VI)


エルデネチメギーン・アマル(47歳)
1990年日本へ留学
1991-1995年信州大学農学部
1995-1997年信州大学大学院修士課程
1997~2000年岐阜大学大学院博士課程卒
農学博士
専門:生物資源科学


 
 日本には生物資源専攻で留学していたからか、自分の専門的な仕事をやり続けてきました。これまでモンゴル産カンゾウ・オウギ・マオウの日本向けの輸出も手がけてきました。2014年8月には、日本のある大手企業とモンゴル産薬草を日本経由で全世界に販売する大型プロジエクトに参加していました。
 当時私は新しくできたばかりの「モンゴルコーセン」(日本式高専のモンゴル版)に勤めていました。学校の新しい建物を建設、運動場、食堂、教員の給料を上げるために必死に頑張っていました。学校は教育する機関であり、お金を儲けるところではありません。そこで産学連携を進めて、技術移転センターが設立され、初期センター長に就任しました。「モンゴルコー セン」では、バイオエンジニアコースが開設され、学生が自由に研究するために必要な資金獲得のために後輩のD.ダムデンバヤル氏と(2017年 9月に津国特許事務所がモン ゴル支店を開設、ご本人は支店所長就任)以前計画していたモンゴル国産亜麻仁油「LINDA-C」品種を栽培してオメガー3を抽出して国民の心臓管理に貢献するプロジエクトと、干ばつに優れた家畜飼料のマンダラ品種の種増殖プロジエクトなどを引っ張ってきて開始させました。 だが、運営費などの硬い壁に直面し、モンゴルの銀行の融資は非常に難しく、その担保の確保に苦労してきました。もちろん黒クコの 輸出にも苦労しました。
 
逆転の発想

 昔のチベットのラマ教の僧侶達は長年瞑想するのが当たり前だったようで、一番気になったのが彼らが非常に長生きした理由の一つが黒クコの実を使っていたという話である。どんな理由か分かりませんが、チベット、中国とモンゴルでは黒クコの使用が禁止されてきた背景もあり、非常によくモンゴルのゴビ砂漠が保存されて今日に至ったのです。
 2016年の8月にドイツで新規企業発足に4万ユーロまで支援される制度があるという話を聞き、逆転の発想で日本向け輸出からドイツ向けに急転回しました。そこでドイツの輸入先企業を探すことと、それがだめならドイツで企業を起こし、資金獲得するという計画を仲間で決めました。 この決断から何と2週間でモンゴル産黒クコを輸入するというドイツ企業が現れました。嘘だろうと思い、何回も 問い合わせたが、確実に購入するという返事ばかり。 ものを海外に輸出するということはモンゴル人にとって非常にハードなことである。そんなことやった人しかその苦しさが分からない。モンゴル産黒クコの品質はどこにも負けない。
 それは、世界最高のスーパ ーアンチーオクシダント果実である。現在、輸入先ドイツ企業は10g黒クコを13ユーロで販売している。シャネルの香水より安いが、夢のように早いスピードで急展開し、輸出に成功したことは一生忘れられない。