バトバヤル氏: 日本人の物事の大小を問わず一生懸命取り組むところに何回も心を打たれました

特集
bolormaa@montsame.gov.mn
2022-02-24 11:25:57

歴史を辿れば、モンゴル日本の外交関係はフビライハーン時代に遡る。本日24日はモンゴル日本外交関係樹立50周年記念日であり、関係樹立からこれまでの良好な関係を築くには両国の外交官だけでなく、歴史家、教育家、文化関係者の功績が認められる。その中で、ツェデンダンバ・バトバヤル氏の貢献を忘れてならないという。長年研究者、そして外交官として務めてきたバトバヤル氏は現在、モンゴル日本学会の会長を務めている。バトバヤル氏のこれまでの両国関係における協力と寄与を日本政府が認め、昨年の3月に令和2年度外務大臣表彰を授与した。今回は、多忙なバトバヤル氏との貴重な談話をお届けする



――日本におけるモンゴル研究は一定のレベルに達しています。貴方はモンゴルにおける日本研究のほんの一握りの数少ない学者の一人ですが、モンゴルにおける日本研究の発展レベルはどの程度 だと思いますか。日本研究に興味を持った話から聞かせてください

私は1975年にウランバートルの第14義務教育学校を卒業し、その後、旧ソ連のレニングラード大学で日本研究を専門に学び、1981年に卒業しました。帰国してから19年間、モンゴル科学 アカデミーで研究者として働きました。その間は1998年に『モンゴルと日本20世紀前半』、2012年には『モ ンゴルと日本20世紀』などの研究書籍を執筆しました。両国にとって歴史的な出来事である1939年のノモンハン事件、1972の外交関係樹立などに関わるアーカイブの貴重な資料をもとにしました。また、社会貢献としては、1990年後半からモンゴル・日本友好協会を率 い、1990年代のモンゴルの社会の移行期の困難な時期に両国間友好と地域協力の強化に携わってきました。2007年からモンゴル日本学会を率い、モンゴルでの日本研究の発展、若年・中年の研究者の育成として、毎年の春と秋に日本研究セミナーやシンポジウムの開催に取り組んでいます。残念ながら、パンデミックの影響で、この2年間はこれまでの活動は中止になっています

――1990年代のモンゴルの社会変化の中で、両国関係はどのように変化しましたか。また、どんな印象で見てこられましたか

研究者の目で言うと、当時の大きな3つの変化について述べたいと思います。第一に、モンゴル政府とモンゴルの人々は、民主主義と市場経済を選択し、民主国としての道を辿ることを決めました。これに伴い、両国は共通の民主的価値観に基づいて、1972年以来存在しなかった新たな外交関係を築き「戦略的パートナーシップ」レベルまでに発展させました。日本にとって、モンゴルの民主国への移行は両国関係にとって重要だけでなく、他のアジア諸国の権威主義体制にも一義を申すものでもありました。次に、20世紀初頭に始まったモンゴル政府の「第三隣国」政策は、1990年代から本格的に始まり、米国と欧州連合と並び日本を重要な外交柱として考えるようになりました。第三に、忘れてはならないもう一つの心情的な要因は、東南アジアの一部の国々とは異なり、第二次世界大戦中に日本軍がモンゴルを侵略をしたり、残酷な暴力などを振るうこともなかったのです。モンゴル人は「歴史的信念」に疑問視する余地はありませんでした。一方、日本人はモンゴルを中央アジアの中心にある「乗馬民族」と見なしていたことです。そのため、日本政府は戦後の苦しい思いを、モンゴルの1990年の市場経済移行期の状況と例え、特に売り物がない空っぽのお店と、「ストリートチルドレン」の問題の解決に援助の手を差し伸べてきました


――貴方は学者だけでなく、外交官ですが、外交官時代の思い出や、外交官としてやり遂げたことについ て教えてください

私は1999年からの外務省の政策局長として働き、在北京モンゴル大使館で公使参事官、在キューバ国モンゴル大使として務めていました。日本には駐在したことはありませんが、何回も日本に係る外務を果たしたことはあります。例えば、20133月の両国の外務省間の政策協議を開催し、公式訪問などにも参加したことはあります。まだ、2013年から外務・外交政策に関わる多国の研究者、要人を招待する「ウランバートル・ダイログ」協議会を発案し、開催にも協力しました

――日本人から学ぶことはたくさんあると言われるが、特に外交官として学んだことはなんですか

日本人には、勤勉、友情への忠誠、正義感、決めた目標を達成するために限界まで頑張るなどの数多くの大切な長所があります。特に、現在の小林弘之駐モンゴル日本国特命全権大使、清水武則・元大使、花田麿公・元大使、林伸一郎元公使参事官らから学ぶことが沢山ありました。彼らの物事の大小を問わず、モンゴルと日本の関係を前進させることに尽力し、一生懸命取り組むところに何回も心を打たれました

――モンゴルにおける日本研究について少し話しを戻しましょうか

2007年には、日本を研究する学者、日本語教師、NGOを含み、私たち知り合いのメンバーらがモンゴル日本学会を結成しました。これには、モンゴル科学アカデミーの研究員のB.セルジャワ氏、E.プレヴジャワ氏、U.ザグドセツェム氏、モンゴル国立大学の教授のT.ムンフツェツェグ氏やS.ドルゴル氏など、D.トムルバータル氏などのNGOの代表らが参加し、結成に関わっています。過去には10回以上の研究会やセミナーを開催し、国際交流基金の研究助成を2回も受給し、国際研究会議も主催しました。特に、2011年に東日本大震災後に見舞われた日本の復興への装置・取り組みについての報告などがメデイアなどで大きく取り上げられました

――モンゴルの外交政における日本国の重要性をどのようにお考えですか

モンゴルの外交政策の概念は「第三隣国」と自立した多元的な政策を重点に展開されています。モンゴルに とって日本は「第三隣国」でもあります。そして1996年以来、政治関係だけでな く、経済・文化・教育など、社会のあらゆる分野で力強く協力する意味で「総合的パートナーシップ」として外交政策を向けてきました。そして、2010年、両国は「戦略的パートナーシップ」構築に向けた共同声明に署名し、それ以来、両政府が相互に合意するその他の分野であるインフラ整備・建設及び都市開発、鉱業及びエネルギー、科学技術及び知的財産、貿易及び投資、教育及び人材養成などの数多くの場面で良好な関係を形成してきました。今後、モンゴルの外交政策において日本の重要性は益々増えると考えています

――両国の外交関係樹立から50年の外交関係をまとめると、もちろん、達成出 来ていない課題も残されていると思いますが・・・

モンゴルの利点は、何世紀にもわたり伝統を持つ遊牧民の国であることです。日本の技術は世界で誰も が認めるものです。モンゴル産の肉や家畜製品を活用し、露・中の市場経済に進出できるような食品を生産するモ・日共同工場を設立する必要があると思います。皮革、羊毛、カシミアと牛乳などで最終製品を生産することで、モンゴルの貿易の売上高を伸ばす絶好の機会だと思うし、あらゆる可能性を最大限に活用する必要があります。日本で普及していた「一村一品」運動が、バヤンホンゴル県とドルノゴビ県で実施されました。この運動の成功を学び、他の県でも実施する必要があると思います。これは、モンゴル済の多様化、海外市場にローカルブランドの製品が発売できる、もっと言うと持続可能な発展の一歩となるでしょう

――モンゴルから日本に輸入されている食品・製品は数少ないと思います。日本市場に適する輸入品とは・・

1990年以来、モンゴルの多くのナショナルブランドが食品・製品を日本に輸出するため試行錯誤を繰り返しています。成功していると言えるのは、カシミヤ製品やチャツァルガン(サジー)食品だと思います。後は、馬肉は少量輸出されていました。日本市場では、衛生管理などで食料品を扱うには少々問題があるかもしれません。一方、経済連携協定(EPA)のおかげで、近年日本製品はモンゴルのスーパーや売店などで多く販売されるようになっています

――貴方は、先月に『モンゴルと日本20世紀から21世紀~第三の隣国関係史~』 著書を出版しました。執筆作についてお話しを聞かせて下さい

この本をモンゴル日本の外交関係樹立50周年を迎え出版しました。本の内容としては、第二次世界大戦後からこれまで両国の関係を5つの章にしまして、100年近くの歴史を纏めたものなる。前半部には冷戦中の両国関係、抑留者問題などについて触れ、1960年代の日米関係、日中関係などのモンゴル外交戦略に関わる要因などについても綴りました。後半部には1972年後の 歴史や対面・内面関係について示しました。そして現代に歴史として、村上春樹の作品をモンゴル語に訳したことで有名な翻訳者のO.ジャルガルサイハンさんとの話しをも入れています。この本は、今後、日本研究に励む若者にとって良い教材になるし、両国関係強化の意義を理解する上で の一助となると思います

――日本研究に長年携わり、共有したい思い出を是非読者にも教えて下さい

日本と関係のある多くの日本人を知っていますが、モンゴルに一番親しみのある清水元大使、花田元大使との良い思い出は沢山あります。清水元大使はモンゴルの輸出が増えない、民主主義国として成り立てられるかをいつも心から心配してくれていました。帰国する際には、モンゴル国民にお願いことや要望を含めた手紙まで書いてくれました。また、「テムジンの友塾」孤児園を設立した友弘さんのモンゴルを思う心やしてきた事も、これまでの外交歴史の一部だと思っています