モンゴル国文化大使佐藤紀子さん  馬頭琴交響楽団を日本や世界に知らしめるため走り回った熱い想いの30年

特集
tserenlkham@montsame.gov.mn
2022-12-30 16:15:58

 日本モンゴル外交関係樹立50周年行事の最終章でクライマックスは、11月30日、東京NHKホールで天皇、皇后両陛下、オフナ―・フレルスフ大統領夫妻らをお迎えした「モンゴル国立馬頭琴交響楽団・設立30周年記念演奏会」だ。この企画を立ち上げ、全面的にプロデュースをし、大成功に導いたのがモンゴル国文化大使10年の「馬頭琴交響楽団の母」と言われる佐藤紀子さんだ。長年、佐藤さんをよく知る元・駐モンゴル日本大使の清水武則さんは、「この楽団の演奏を日本人に味わってほしいという願いを実現してくれたのが、当時大阪モンゴル国名誉領事の佐藤さん。今回の日本巡回公演はその総仕上げ。馬頭琴を愛でてやまない佐藤さんなしでは実現出来なかった」と高く評価する。音楽を通して両国の架け橋となって尽力する佐藤さんをインタビューした。


――50周年を迎え、この間のモンゴルの大きな発展と変化をどうとらえていますか?

 時代と伴走しながら変化を見てきました。両国の一般人が今のように交流できるようになったのは大変良かったが、国の事を考えると社会主義を放棄して、農業が育たなくなったのは残念。若いリーダーは、いいものも捨ててしまった。民主化を進め、社会が発展したとはいえ、見直しも大切ですね。

――ところで、佐藤さんと馬頭琴交響楽団の出会いと、これまでの経緯は?

 1989年に琵琶湖畔で「淡水保護会議」があり、司会を務めていた私は、モンゴルから参加していたバトドルジ氏と出会った。翌年、同様のフブスグル会議をするからとオチルバト氏の名前で招待状が来た。90年はモンゴルの政治体制が変わる激動の時代。初めてモンゴルを訪問したが、それから聴いた馬頭琴交響楽団の素晴らしさに感動した。何か手伝うことがありますかと聞いたら、海外遠征ツアーがしたいと言う。創立したての若い楽団の演奏を日本の皆さんに聴いてもらいたい一心で、1997年、楽団全員での来日公演をスタートさせた。第1回目の日本遠征では北海道から沖縄まで足を運んだ。日本全国各地で演奏し今年で14回目。指揮者を入れて総勢41名全員が参加の公演は約100回、小さいのも入れると200回以上で、今回だけでも13ヶ所を巡回した。世界 へは30ヶ所以上で演奏し、今や 世界的な楽団に成長しました。




――今回の巡回で観客の反応は、どうでしたか?大変好評だったと聞いています。

 皆さんからの声は、「草原の風のような音色にまだ見ぬモンゴルに思いを馳せた」と言う人や、「きれいな民族衣装を着て、躍動感あふれるコンサートだった」、「馬頭琴で日本の曲を聴くと改めて、日本の曲の美しさに涙が出た」、などなど。特に陛下をお迎え出来たのは彼らに大きな励みとなった。

――陛下のご様子は如何でしたか?お招きが実現するまでにどんな苦労がありましたか。

 2階席の最前列中央に雅子さま、陛下、大統領夫妻が並んで座られ、演奏会を楽しまれた。15年前、皇太子の頃にモンゴルを訪問し、楽団の皆さんと舞台で「サンサーンスの白鳥」を演奏をされた時のことをよく覚えておられました。 陛下のお招きは2019年から温めてきた。ご都合や警備の問題があるので、最後まで口外できなかった。ギリギリになって決まった時は本当にうれしかった。

――あなたにとって、楽団の最大の魅力って、なんですか?

彼らは演奏が大好き。ユニークで世界にたった一つの存在であり続けるために色んなジャンルに挑戦してきた。民族楽器の保存を大切にし、たえず上を目指して努力している。また、大きな夢を持ち、 団員はひとつの家族のように仲良く音楽と言う絆で結ばれています。

――日本だけでなく、アメリカやヨーロッパまで遠征し、世界的な楽団になりました。

 昨年11月、ロシアのサンクトペテルブルグにある世界的なマリンスキー劇場に利用を申し入れた時、「ウチはクラシック専門だから」と断られた。しかし、NHKホールやカーネギーホール、国連本部でも演奏したことを伝えると、即座にOKが出た。マリンスキー劇場300年の歴史に新しいページが開かれた瞬間でした。

――こうして世界にモンゴルの名を知らしめた功績と設立30周年の節目で楽団はこの10月にモンゴル国文化大使に任命されましたね。

 私から見れば遅いくらいです。日本公演が始まった時から、すでに彼らは「文化大使」だと思っていましたから。

――今年の秋の叙勲で、佐藤さんは多岐にわたる30年の貢献で「旭日章」を受章されました。率直なご感想は?

 最初、何かの間違いかと思いました。思いがけない叙勲は、大勢の方々の支援があっての事で、感謝しています。

――これまでで、特に印象に残ったことは何ですか。

 以前から楽団が交流を深めて来ていた、奈良県吉野郡川上村があります。 そこで樹齢250年の大杉の板をいただき、それを使っ て両国のシンボルとして馬頭琴を作ってもらった。今回、この馬頭琴の音色を直接陛下に聞いていただき、 差し上げたことは、団員にとっても、私にとっても大きな喜びでした。

――最後に、50周年を記念して、著書『風の虜になってモンゴルと私』(竹林館)を出版されました。主な内容は?

 1990年、初めてモンゴルへ行って感動したのは、飛行機を降りた時に吸い込んだ風のかぐわしさだった。以来、モンゴルは私の生活の一部になってい る。そんな両国関係や自伝的家族史を書いています。50周年が終わったら、楽団を中心に色々なテーマで出遭った人々や歴史に翻弄された人たちなど、モンゴルへの率直な意見を具申できるかなあ? 馬頭琴交響楽団がモンゴルと日本の文化関係にどんな影響を与えたかなどもじっくりと考えていきたいと思っています。




――ありがとうございました。