ツェツェンツォルモン氏:祖父の作品により民主化・民族意識・精神基盤が復興した

社会
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2026-04-17 08:38:46

(ウランバートル市、2026年4月17日、国営モンツァメ通信社)20世紀を代表する歌曲として顕彰された「熱き身内のわが故郷」を数多くモンゴルで広く歌い継がれてきた数十曲に及ぶ歌曲の作詞者であり、ジャムツ・バドラー文化功労者兼芸術研究者の生誕100周年を迎えました。同氏は、作家、詩人、民俗学者、言語学者、翻訳家、芸術研究者として多分野にわたり知見を広め、後世に貴重な知的遺産を残した。また、伝統を尊び継承する民族の統一的な価値観と精神の強化に多大な役割を果たした。20世紀の知識人であり啓蒙者でもあった。その末息子のバータルナラン氏の娘であるツェツェンツォルモン氏は、祖父の志を受け継ぎ、芸術研究者となっている。今回は祖父について、同氏に話を伺った。


ーーお祖父さんはどのような方でしたか。モンゴルの人々の心に深く刻まれた優れた作品の作者というだけでなく、ご家庭の中ではどのような性格で、どのように家族を支える存在でしたか。


祖父が1993年に逝去するまで、私は一緒に暮らしていました。祖父は自分のあらゆる時間とエネルギーを創作、学問、研究に注いだ人であったと思います。子や孫に対して絶えず教え諭すというより、自らの姿で手本を示す人でした。モンゴル語学や文章表現に精通していたため、私たちの言葉遣いはいつも正してくれました。


また、とてもユーモアがあり、茶目っ気のある性格で、皮肉や冗談を交えてよく話していました。非常に誠実で正直な人で、嘘をつくことができない性分でした。家の電話が鳴り、祖父が出たときに、兄が時々「いないと言って」と頼むことがありました。その際、祖父は「いません」とだけ伝えてすぐ電話を切り、「ああ、なんということだ、人にこんな良くないことをさせてしまった」とでも言うように、とても心を痛めた様子で、手を合わせて祈っていたのを覚えています。幼い子どもに対しても、常に大きな敬意をもって接する人でした。


ーー当時、お祖父さんのお宅にはどのような本があり、どのような暮らしや雰囲気でしたか。

今でも祖父の家はそのまま残っており、祖母がそこに住んでいます。祖父の祖父は、ジャルハンザ・ホタグト・ダムディンバザルの実兄にあたります。ホタグトの子孫として家系を代表する立場にあったため、家のウニ(天井を支える部材)の一部や、幼少期に使っていたという木製の人形、数珠などが残されています。更に、経典や仏像・祭具などの文化的に貴重な品や収蔵物もいくつかあります。



ーーお祖父さんの手稿や記録をご覧になって、どう感じられますか。


祖父は一つの内容について、手書きだけでなくタイプライターでも2~3部作成し、保存していました。自宅には非常に多くの紙資料やアーカイブが残されています。当時の公演やコンサートの招待状、案内、チケットなども数多く保管されています。これらをまとめてチケットのコレクションとしてアルバムにすれば、その時代の色彩やデザインを示すものとなり、とても興味深いと思います。各種団体や工場などから民俗芸能をテーマに講義を依頼する招待状なども数多く残されています。

ーーご家族に残されたお祖父さんの最も大きな「遺産」について、差し支えなければ教えていただきたいです。


やはり私たちの「思想」と言えると思います。祖父は国家のために尽くすこと、そして自らの志に誠実に向き合うことを何より大切にしていました。

そのため、「個人的な利益や名声のためではなく、学問と知識に打ち込み、他者の幸福のために心を尽くす」という考え方こそが、私にとって祖父から受け継いだ最も大切な「遺産」であると感じています。


ーーインタビューありがとうございます。