モンゴル交通法, 歴史的な経緯
社会自動車がモンゴルで初めて走行したのが、今から約111年ほど前のこと だ。当時の車のほとんどがロシア人や 漢民族が所有するもので、キャフト、イフ・フレー、張家口間に輸送手段と して用いられた。
モンゴル人には、自動車は“前代未 聞のもの”であり、当時は、あくまで 面白く、おかしな社会現象として受け止められた。その理由は、車が走る道路らしきものがなく、また交通法など も存在しなかったからだ。
1918年ごろになると、ウルガ(ウラ ンバートル旧名称)・キャフト間に定 期便が運航されると、外国人のみなら ずモンゴル人が乗る機会も増えた。 1920年から交通量が増えるに連れて 事故が多発し始めた。モンゴル中が取 り締まり強化および再発防止を図るた め、規則を設ける必要があるという認識が広まり始めた。
モンゴルで初めて交通事故による死 亡が記録されたのは1923年だ。当時、華人の商店で運転手として働く者が飲酒運転をし、人民軍兵士にぶつかったという。衝撃によりその軍人が死亡した。 そのほか、1925年に華人が営む「ダライ ン」という商店の運転手が外遊びする女の子にぶつかり、死亡させた。同年、また ロシア人の所有車と政府所有車との衝 突などの交通事故が発生したなど事故が次第に増え始まった。
当時は交通法など関係法が未整備の ため、対処が難しかったという。1925 年に当事の司法省から要請を受けた 新政府が交通取締に関する規則を熱 考した末、モンゴル国内において機関 車および自動車利用に関する臨時規則 を配付するに至った。この規則が速度 制限などを盛り込んだものであり、例 えば、集落などの人や家畜が多いと ころでは、制限速度が15マイル(約 24km/h)である。
交通法は1925年の初交通規則の配 付から現在に至るまで、約12回に渡 って修正および改善されてきた。9月 1日から執行される新交通法は2004年 から11年ぶりの改正となる。同法律 がモンゴル道路事情の改善となるこ と期待したい。
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